神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

杓屋口

2015-05-01 10:43:55 | 千川用水2

 杓屋(しゃくや)口、あるいは柄杓屋(ひしゃくや)口は、厳密な意味で同一かどうかはわかりませんが、寛政6年の→ 「星野家文書」で「八丁下井草村沓掛田養水口」と書かれていたものです。分水口は青梅街道の八丁通りと通称されるところにあり、付近に柄杓を商う店があったのでしょう。現在、青梅街道に直接面する個所の痕跡は失われていますが、二ブロック先の桃井公園の前から、車止め付の遊歩道が北に向かっています。途中、数回前に紹介した日産工場跡地(現桃井はらっぱ広場)からの水路と合流、東に向かって環八通りを越え、次回テーマの清水口(清水田養水口)からの流れを合わせ、妙正寺池を出たばかりの妙正寺川に流れ込みます。その間およそ1200mですが、大部分が車止め付の遊歩道となっていて、迷うことなくたどるのことができます。

 

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    ・ 「昭和22年米軍撮影空中写真」  水路が沿っている道路は、八丁交差点から一つ四面道よりのものですが、 この付近の上下井草村の境でもありました。白点線で重ねたのは井荻村(のち町)当時の大字上井草(字中通道南)と大字下井草(字沓掛)の境です。

 なお、「星野家文書」の「八丁下井草村沓掛田養水口」ですが、「沓掛(くつかけ)」は下井草村の字名です。青梅街道から妙正寺川に至る一帯を指し、妙正寺池の近くに沓掛小学校が現存します。名前の由来は不明ですが、杉並区教育委員会「杉並の地名」は、街道沿いによくある地名なので、所沢道等に関係があるのではと推測しています。この所沢道(石神井道)は「新編武蔵風土記稿」が下井草村の項で、「東北の界に所沢への道あり、豊島郡下石神井村より当郡中野村に達す。村にかかること十五町許」としているもので、早稲田通り(大場通り)から旧早稲田通りへと至る経路と重なります。

 

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    ・ 水路跡  上掲「空中写真」の水路の先端は、植込みのある細長いスペースになっています。このまま右手に向かえば、150mほどで青梅街道で、「杉並の通称地名」はそこを杓屋口としています。

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    ・ 水路跡  上掲写真の北側にある桃井公園横です。ここから車止め付きの遊歩道、ないし路地が日産工場跡からの水路と合流するまで、400mほど続きます。