練馬区立千川上水緑道に戻ります。伊勢橋北詰から400mほど、千川通りの東側を並行するこの区間は、暗渠となった中では最も遅く、昭和45年(1970年)に暗渠化されています。前回訪問した時には整備中でしたが、このほど、千川通りの拡幅工事に伴い、緑道の一部が道路用地となりました。かっての流路そのままに蛇行していた緑道の大半は、幅広の直線的な歩道、自転車専用道に変貌しています。
- ・ 千川通り 青梅街道から入った直後の、通りの東側に沿う歩道、自転車専用道です。整備される以前の流路の面影を残す緑道の写真は→ こちらでどうぞ。
- ・ 千川通り 途中、歩道の右手に取り残されたところが、新たな練馬区立千川上水緑道として整備されました。立野橋交差点まで、およそ250mほどの区画です。
<立野橋> 千川上水緑道は立野橋交差点で終了します。立野橋は伊勢橋の次の橋ですが、江戸時代にはありませんでした。立野(たちの)は上石神井村の字で、練馬区のホームページ内「練馬の地名 今むかし」は、その由来として「延喜式」にある「立野の馬牧」説、牧の監視所の「舘」説を上げた後、「用木を立てた官有林があったところの地名として各地に残っている」と付け加えています。伊勢橋より上流にあって、武蔵野市と隣接する立野(たての)町は、ここの住民が開拓し、その飛び地として成立したところで、→ 「上石神井村絵図」の左下隅の一角です。
- ・ 立野橋交差点 緑道の終点からのショットです。交差点の北側角には小さな→ お堂があり、宝永元年(1704年)造の庚申塔や天保13年(1842年)の観音供養塔が祀られています。