神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

天保新堀用水

2015-05-19 06:28:23 | 千川用水2

 七ヶ村分水は杉並口で街道を離れ、桃園川に流れ込んで阿佐ヶ谷田圃の用水となっていました。以東の馬橋、高円寺、中野の各村は、七ヶ村分水の恩恵にあずかることなく、「天水場」、すなわち田植え、収穫が雨の多寡に左右される地域でした。そこで天保11年(1840年)、三村はこの状態から脱するため、お隣の善福寺川からの引水というプロジェクトを実行に移します。問題は桃園川と善福寺川の分水界である青梅街道の尾根筋をどう越えるかで、延長420mのトンネルを貫通させることで解決しました。結果、(三か村の水田の45%に当たる)22町7反歩(22.7ha)余りの水田が灌漑され、その恩恵は大正時代まで続いたそうです。(→ 「段彩陰影図」の◎の個所です。)

 

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    ・ 「迅速測図 / 東多摩郡高圓寺村」(参謀本部測量課 明治13年測量)の一部を加工したものです。成宗弁天池から桃園川の支流の谷頭に向かって、青梅街道越えのトンネル部分が点線で描かれています。 

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    ・ 青梅街道  写真左手の杉並区役所のある一角をトンネルで抜け、区役所裏のアーケード街(パールセンター)先で地上に出ていました。もっとも、区庁舎建設の際の基礎工事では、トンネルの痕跡はみつからなかったそうです。

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    ・ トンネル入口  青梅街道の南250mほどのところで、正面には街道沿いの建物が見えています。なお、奥の左手に車止めが見えますが、街道から善福寺川(その左岸流)へと向かう排水路跡です。

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    ・ トンネル出口  パールセンターは元は「迅速測図」にも描かれた、権現道と呼ばれた古道で、阿佐ヶ谷駅開通を機にそれまでの二間から三間に拡張、やがて商店街化したところです。