神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

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天沼弁天池

2015-05-12 06:41:01 | 千川用水2

 以下は「新編武蔵風土記稿」の天沼村の水利に関する記述です。「用水 多摩川上水の分水なり、青梅街道のほとりより当村へ流る、所々の水田にそゝぎ、阿佐ヶ谷村へ入、村内をふること十町ばかり、小名中谷戸に広さ一段許の池あり、池中蒹葭生茂れり、是を用水とす」 池の傍らには、同書に「小祠、村内蓮華寺の持」と書かれた弁天社があり、大正末までは雨乞い信仰の対象でもありました。なお一段(反)は面積の単位で1000㎡弱です。一方、明治初年の「東京府志料」によると、天沼村の土地質は「高燥ニシテ平坦ナリ 動スレハ旱魃ノ患アリ」とされ、田面積は4町17歩(同じく「平坦ニシテ旱燥」な隣村、阿佐ヶ谷村は12町4反5畝)、そして、明治10年前後の「星野家文書」は、千川用水のかかわる田面積を天沼村4町(阿佐ヶ谷村12町4反)としており、水田のほぼすべてを千川用水に依存していたことになります。

 

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    ・ 天沼弁天池公園  関東大震災以降、荻窪周辺の宅地化で湧水が減少、結局30年ほど前に枯渇、大半は埋め立てられました。西武鉄道関係の所有地になっていましたが、最近杉並区が買い取り公園としました。

 「荻窪風土記」にも、「天沼八幡様の鳥居のわきにある弁天池」に関して、次のようなする一文があります。「一筋のきれいな水の用水川が流れ、それとは別に、どこからともなく湧き出る水で瓢箪池が出来ていた。」 この後に、同行した知人の短歌が引用されます。「このあたり野良低みかもわが踏める足元ゆらに清水湧くかも」 雨が降り続くと、弁天池の湧水は溢れて大沼となり、いつしか雨沼(転じて天沼)と呼ばれるようになった。そんな地名由来の一説がもっともらしく感じられる描写ではあります。

 

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    ・ 天沼八幡通り  奥の茂みが八幡神社、前を横切っているのが、前回の最後の→ 写真から100mほどの用水跡の遊歩道です。→ 「東京近傍図」で、北四面道口からの用水と弁天池の水の合流地点はこのあたりと思われます。

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    ・ 八幡神社  「新編武蔵風土記稿」では小名中谷戸の鎮守、「東京府志料」では「村ノ鎮守」です。創建は17世紀末の天正年間、ないし江戸初期といわれていますが、詳しいことは伝わっていません。