神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

小淀橋

2018-02-28 06:19:16 | 神田川4

 本郷村地内で分岐した用水に架かっていたのが小淀橋です。→ 「中野村絵図」で淀橋と並んで描かれている橋で、江戸時代からそう呼ばれており、「武蔵名勝図会」は「淀橋より往来十八間をへだて、小溝に架す」と書いています。「江戸名所図会」に「淀はしハ成子と中野との間にわたせり、大橋小橋ありて・・・・」とあるように、淀橋とワンセットの小さい方の橋の意でした。その規模は「豊多摩郡誌」(大正5年)では「構造石造 延長三間幅員三・五間」となっていますが、「中野町誌」(昭和8年)の橋梁リストには登場しません。かわって名所旧跡の項に、「近年道路改修の際埋められて全く形を失えり」とあります。

 

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    ・ 「江戸名所図会 / 淀橋水車」 「淀はしハ成子と中野との間にわたせり、大橋小橋ありて橋より此方に水車回転る、故に山城の淀川に準へて淀橋と名付へき旨台命ありしより名とすといへり、大橋の下を流るるは神田の上水堀なり」 

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    ・ 小淀橋跡  かっての青梅街道は、淀橋を渡ったあとやや北側にふくれていました。そのため、小淀橋は正面ビルの左手前付近に架かっていたものと思われます。 

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    ・ 青梅街道  淀橋から中野坂上に向かってのショットです。次の信号のあたりを小淀橋の架かる用水が流れていました。淀橋と小淀橋の間は「中野町誌」では20間です。 

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    ・  小淀橋の親柱(?)  親柱と同じデザインのものが中野坂の中腹角にあります。淀橋のものに比べだいぶ小ぶりなだけに、小淀橋の遺構かもしれません。