中野通りは都道420号線のうち、千川通り、ないし目白通りから甲州街道、ないし井ノ頭通り間の通称で、山手通りと環七通りの中間にあって両者の役割を一部補っています。神田川とクロスする区間は、昭和2年(1927年)発足の中野町(のち中野区)第二土地区画整理組合により、他に先行して開通しました。寿橋の架橋もその時で、昭和8年の「中野町史」によると、橋長7.27m幅員10.91mのコンクリート橋でした。
- ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(明治42年測図) / 中野」 前回UPの→ 「昭和3年第三回修正」と同一場所、同一縮尺で、現行の神田川をブルーで、本郷通りと中野通りをグレーで重ねています。
- ・ 中野通り 右岸段丘の際から寿橋方向のショットで、左手に見える崖面下を右岸流、その先の横断歩道が本郷通り、さらにその先が寿橋という位置関係です。
- ・ 神田川 中野通りに架かる寿橋から下流方向です。次の本郷橋がチラッと見えていますが、この前後の橋はすべて中野町第二土地区画整理組合の事業の結果です。
- ・ 本五ふれあい公園 上掲写真の左手マンション裏にある、多目的運動場を含む公園です。改修以前の神田川は北寄りに蛇行しており、このあたりが流域でした。