神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

本郷村境

2018-02-03 06:51:25 | 神田川4

 善福寺川との合流後、神田川は右岸段丘といったん接し、多田たんぼを灌漑していた右岸の用水は、ここで流路を失い本流に戻ります。その後、左カーブで段丘から離れますが、そこに改めて堰が設けられ、本郷田圃を灌漑する用水が分岐されます。この用水は段丘沿いに東に向かい、現山手通りを越えたところで本流に余水を落としていました。このように用水が不連続となるところに村境が設けられる例は、これまでもたびたび見てきたところですが、ここも例外ではなく、新たに分岐した右岸流が、おおむね雑色、本郷の村境を画していました。→ 「雑色村絵図」にある通りです。

 

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    ・ 「段彩陰影図 / 神田川5」(1/18000)  オレンジ線は区境で、中央にあって大半を占めるのが中野区、そこから時計回りに新宿区、渋谷区、そして西側は杉並区です。 

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    ・ 神田川  奥に見えるのは富士見橋で、右手は地下鉄中野富士見町駅です。この付近に堰が設けられ、駅の裏に迫る→ 右岸段丘に沿っていました。 

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    ・ 右岸段丘  中野通り手前の右岸段丘で、このあたりから段丘下の田圃は本郷村、段丘上は雑色村に属していました。全体が本郷村となるのは中野新橋先です。

 <本郷堰>  以下は「中野区の史跡(中野の文化財)」(1994年 中野区歴史民俗資料館)の引用です。「地下鉄丸の内線の富士見町駅を降ります。右脇の佼成病院前は、もとは木々が生いしげり崖のすそを神田川が淵をつくり、修行者が身を清める場所になっていました。ここに村人が川岸の芦で草堰をかけ、本郷水田への水をとりました。この本郷堰から本郷用水は本町一丁目で本流に入るまで、台地に沿って、春から秋にかけて美しい小川になっていました。江戸時代いらいのこの堰も農地の宅地化につれて大正ごろから消えました。」 明治17年(1884年)に行われた「田用水に関する調査」に「雑色村ニ本郷村ノ堰壹ヶ所アリ」と書かれているもので、堰自体は雑色村に属していたようです。