善福寺川との合流後、神田川は右岸段丘といったん接し、多田たんぼを灌漑していた右岸の用水は、ここで流路を失い本流に戻ります。その後、左カーブで段丘から離れますが、そこに改めて堰が設けられ、本郷田圃を灌漑する用水が分岐されます。この用水は段丘沿いに東に向かい、現山手通りを越えたところで本流に余水を落としていました。このように用水が不連続となるところに村境が設けられる例は、これまでもたびたび見てきたところですが、ここも例外ではなく、新たに分岐した右岸流が、おおむね雑色、本郷の村境を画していました。→ 「雑色村絵図」にある通りです。
- ・ 「段彩陰影図 / 神田川5」(1/18000) オレンジ線は区境で、中央にあって大半を占めるのが中野区、そこから時計回りに新宿区、渋谷区、そして西側は杉並区です。
- ・ 神田川 奥に見えるのは富士見橋で、右手は地下鉄中野富士見町駅です。この付近に堰が設けられ、駅の裏に迫る→ 右岸段丘に沿っていました。
- ・ 右岸段丘 中野通り手前の右岸段丘で、このあたりから段丘下の田圃は本郷村、段丘上は雑色村に属していました。全体が本郷村となるのは中野新橋先です。
|