神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

本郷村用水

2018-02-14 06:34:11 | 神田川4

 本郷村の水利に関して、「新編武蔵風土記稿」は「吉祥寺村井ノ頭池及び遅野井村善福寺池の二流、和田、雑色二村の界にて落合、村の西の方より村内へ入、東の方豊嶋郡幡ヶ谷、角筈両村の界に至る、此水に堰を設て引分所々の水田に沃く、村内にかゝること凡十町、角筈村の界にて上水に合す」と書いています。「此水に堰を設て」以下の記述は、すでに触れた本郷堰に関するものです。灌漑された水田面積は「東京府志料」の数字で11町9反9畝12歩、明治17年(1884年)の「田用水取調表」で11町6反8畝26歩、「本郷堰の址」に関する解説プレートの「当時十一町余の水田を灌漑していました」との記述と一致します。

 

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    ・ 「本郷村絵図」  中野区立歴史民俗資料館の「常設展示図録」(平成元年)に収録されている「本郷新田絵図」(「堀江家文書」 首都大学東京図書情報センター蔵)をもとにイラスト化しました。例によって田用水と村境を強調しています。

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    ・ 本郷通り  中野新橋駅前の本郷通りです。この付近の本郷用水は概ね本郷通りの左右を蛇行していました。なお、「豊多摩郡誌」によると、この付近に川島橋(石造、延長一間幅員一間)が架かっていました。 

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    ・ 新橋  上掲写真の交差点を左折すると百数十メートルで新橋ですが、そこから左岸方向のショットです。奥の横断歩道の手前付近が、別項で触れる雑色村飛地でした。 

 <新田と飛地> 「本郷新田は、本村の南の方にあり、いつの頃一村の名となりしや、その年月詳ならず、・・・・飛地三ヶ所あり一ヶ所は西北の方にあり、一ヶ所は東の方、又一ヶ所は東南の方にあり」 飛地が三ヶ所もある関係で、本村とはモザイク状にからみあっており、上掲「村絵図」では両者の境は省略しています。また、「村絵図」の氷川神社前にある雑色村飛地にも注目で、明治に入って中野村(のち中野町)が成立した際も大字雑色字新橋の飛地として引き継がれました。その周辺は左岸には珍しく田圃になっていて、雑色村によって新田開発されたのかもしれません。