神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

善福寺川合流

2018-02-02 07:05:19 | 神田川4

 神田川と善福寺川の合流地点が現在のようになったのは、昭和初期から段階的に行われた区画整理事業によってでした。昭和2年(1927年)に発足した中野町第二土地区画整理組合によって、淀橋から杉並区との境までの改修が先行、それを引き継ぐ形で、和田堀町第一土地区画整理組合が区境から善福寺川の駒ヶ坂橋までを改修しました。現在の和田1丁目に相当するエリアです。同組合は昭和5年の発足で、事業は同17年までかかりますが、その成果の大半は「昭和12年第四回修正」に反映されています。

 

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和12年第四回修正) / 中野 」 → 「明治42年測図」と同一縮尺、同一個所なので、土地区画整理事業の進展を時系列で追うことができます。

 次いで、昭和16年に相次いで発足した中野土地区画整理組合、和田堀町第二土地区画整理組合によって、合流地点以降の神田川と駒ヶ坂橋以降の善福寺川の改修がなされ、現行のようになりましたが、うち中野土地区画整理組合の事業の途中経過は、前回UPの→ 「昭和22年空中写真」で見ることができます。多田田圃と呼ばれる水田地帯の中央を流れていた神田川を左岸段丘沿いに付替えたため、合流地点は100mほど上流に移転しました。段丘沿いに元々流れていた左岸流を拡幅、本流に転用したようです。

 

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    ・ 合流地点  神田川の流路を本来のものより左岸段丘寄りにしたため、合流地点が100m近く上流にずれました。正面奥の蛇行している付近に、神田川は右手から流れてきたことになります。

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    ・ 神田川  合流後の神田川で、上掲写真の蛇行している付近です。奥に見える橋は和田見橋、架橋当時の左岸杉並区和田本町と右岸中野区富士見町からのネーミングです。