神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

左岸の用水

2018-02-26 06:20:15 | 神田川4

 → 「中野村絵図」にも描かれた「本郷村地内の堰」(「新編武蔵風土記稿」)からの用水は、同図にもあるように神田川の左岸を並行し、途中桃園川の左岸流とともに、上落合村境までの田圃を灌漑していました。うち、桃園川の左岸流と合流して以降は、その延長としてすでに扱ったので、今回は末広橋西で桃園川緑道に出会うまでが対象です。といっても、その大半は昭和に入ってからの宅地化によって失われ、青梅街道までの区間が本一東通りとなって残っているに過ぎません。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和3年第三回修正) / 中野」  上掲地図と同一場所、同一縮尺です。

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    1. 豊水橋から下流方向で、奥は淀橋です。数十メートル下流で左岸に分岐していたはずですが、その痕跡は失われています。

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    2. 本一東通りと通称される通りですが、ここから水路跡と重なります。

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    3. 左カーブの上りに差し掛かりますが、その先は青梅街道です。 

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    4. 青梅街道には小淀橋が架かっていました。正面の建物の裏は→ 駐車場で水路跡はありませんが、奥の段差に沿っていたものと思われます。