「氷川明神社 赤坂今井にあり。・・・・祭神当国一宮に相同じ。赤坂の総鎮守にして、祭礼は隔年六月十五日、永田馬場山王権現と隔年に修行す。江戸名勝志、惣鹿子等の草紙に、当社元一木村にありしを、享保十五己酉(1730年)、今の地に遷座、社を御造営ありしと云々。按に、当社を古呂故宮とし、又享保中一木より今の地にうつし奉るよし、諸書に見ゆれども、詳(つまびらか)ならず。寛文江戸図に、古呂故宮と称するものは、今の一木に記(しる)して、氷川明神は同絵図に今の地に記しあり、しかるときは各々別の社なるべし。」(「江戸名所図会」) 神社西側にある本氷川坂(元氷川坂)の標識に、「坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治十六年四月、氷川神社に合祀された。」とあります。「寛文図」の「ヒカワ明神」は、この本氷川明神のことと思われます。
- ・ 「江戸名所図会 / 赤坂氷川社」 社殿裏手が今回の谷筋で、正面も低地になっていますが、こちらは現六本木通りを底とする南側の谷筋にかかわるものです。
- ・ 氷川神社 氷川坂を上ると右手に参道があり、その先に「図会」の右下に描かれた階段が見えます。
- ・ 氷川神社 社殿は「図会」にもある享保15年造営のもので、都の有形文化財に指定されています。
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