神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

ひょうたん堀

2014-10-29 06:55:45 | 城西の堀川3

 「大下水 紀伊殿御屋敷より流て来り、元赤坂町表伝馬町一丁目を通し、田町一丁目より明地上水堀の西を流れ、葵坂辺に至て溜池に合す、溜池落口の処を少しく幅広まりて、その形瓢に似たり、よりてひょうたん堀といへり、『江戸砂子』に赤坂川は鮫河橋の方より来りて、流末桜川に落ると書しは、此大下水の事なり、榎坂の辺より分派して、地中を堀通し、霊南坂の脇より桜川の方へ達せり。」 大下水(赤坂川)の開始にあたって、引用したことのある「御府内備考」の記述です。赤坂見附交差点から1.2kmほど南下して、そのひょうたん堀跡まで来ました。ただ、前回の最後でも触れたように、一帯はビルの敷地となって重なる道路もなく、痕跡をたどることはできません。

 

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    ・ 「江戸名所図会 / 溜池」  正面の通りが葵坂から続く葵坂通り、その奥がひょうたん堀(大溜とも)ですが、間に馬場があり、また玉川上水が流れていました。

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    ・ 特許庁前交差点  切絵図を重ねた→ 「1/5000実測図」から判断すると、ひょうたん堀はこのあたりで溜池に合流していたことになります。

 <榎坂>  「榎坂 溜池端明地に添ひ、霊南坂の方へ上る坂なり、此辺赤坂の地なりや今井の地なるや定かならされと、溜池にそえるをもて、姑(しばら)くこゝに出せり。」(「御府内備考」) 「江戸名所図会」は以前引用した「池の堤に榎の古木二三株あり、是を印の榎と名(なづ)く。昔浅野左京太夫幸長、欽命を奉して此所の水を築止めらる、其臣矢島長雲是を司り、堤成就の後、其功を後世に伝んため印にとて栽けるとなり」に続けて、「此堤より麻布谷町の方へ下る坂を、榎坂といへるも、前に述所の榎ある故とぞ」と書いています。

 

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    ・ 榎坂上  葵坂通り越しに榎坂上を見ています。正面奥がアメリカ大使館で、右手に下るのが榎坂、逆に左手に下るのが汐見坂です。

 冒頭で引用した「御府内備考」にもあり、また「実測図」にも描かれているように、大下水はひょうたん堀手前で分流していました。分かれた一流は榎坂に向かい、左折して坂のピークを伏樋で越え、汐見坂に抜けて桜川の水源の一つとなるのですが、その詳細は次回以降とします。