「御府内備考」は大刀洗川の水源に関し、「妻木彦右衛門様屋舗より流出」と書いていました。切絵図を現在の地図に重ねてみると、三千四百石の旗本、妻木家の屋敷のあったのは、コロンビア通りと青山通りに挟まれた現山脇学園キャンパスあたりで、→ 「段彩陰影図」の示す青山通り沿いの谷頭のやや手前です。なお、「御府内備考」は妻木家屋敷について、別の個所でこう書いています。「千代姫君御下屋敷跡も、一ツ木の内なり、二ヶ所有しと、今の妻木氏の屋敷、井上氏の屋敷なとその所なりと、」 千代姫は三代家光の長女で、尾張藩二代藩主光友に嫁ぎました。
- ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」 「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の西部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載しています。
- ・ 山脇学園キャンパス 手前がコロンビア通り、左手奥の高層ビルは、谷頭付近にある赤坂ガーデンシティやパークコート赤坂です。
- ・ 谷頭付近 上掲写真の二つの高層ビルの間の通りです。「実測図」の描く池はこの右手にありましたが、明治末の地図からは消えています。
<薬研坂> 「薬研坂 青山の方へ行手の坂なり、形薬研に似たれはとてかくいふなり、また何右衛門坂ともいへり」(「御府内備考」) この坂のある通りが、江戸時代は赤坂と青山の境となっていましたが、現在は西に500mほどの外苑東通りで分けています。なお、薬研(やげん)というは、漢方薬を作る時、材料を細かくすりつぶす道具で、小舟型のすり鉢とハンドル付車輪のようなローラーでワンセットです。そのすり鉢の底の断面がV字なことから、同様な断面をもつものが薬研堀とか薬研坂とか呼ばれました。
- ・ 薬研坂 上掲写真の坂上を横から見たところで、正面は青山通り、その奥の茂みは赤坂御用地のものです。