神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

檜屋敷

2014-10-27 07:30:07 | 城西の堀川3

 今回の谷頭一帯を占めていたのは、長門萩藩毛利家の下屋敷でした。檜が多く茂っていたことから、檜屋敷と通称されたところです。「檜屋敷 六本木通りの西松平大膳太夫下屋舗に、檜の並木あるよりの呼名なり、よりてその近辺をも檜屋敷と唱ふ。」(「御府内備考」 ただし、麻布の項にあります。) 明治に入り陸軍の駐屯地となり、戦後は進駐軍が接収、昭和37年(1962年)から平成12年まで、防衛庁がおかれていました。防衛庁跡地は「東京ミッドタウン」として再開発され、その中心のミッドタウン・タワーは地上248mで、東京では一番の超高層ビルだそうです。なお、毛利家の屋敷地が谷頭まで拡張されたのは、明暦3年(1657年)10月のことで、その様子は→ 「明暦江戸大絵図」の「大膳新屋敷」の書き込みに反映されています。

 

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    ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治16年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の南西部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載しています。

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    ・ 檜町公園  昨日UPの最後の写真の正面です。上掲「実測図」では、大名庭園名残の池からの余水が、このあたりから流れ出しています。

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    ・ 檜坂  檜坂中腹から上掲写真の谷筋を見下ろしています。坂上は松平三河守(家康の孫忠直)の屋敷があったことから、三河台と呼ばれていました。

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    ・ 檜町公園  毛利家下屋敷には池を中心とした庭園があり、「清水亭」と呼ばれていました。「清水」は谷名とも共通しており、関連があるのかもしれません。