溜池を出た外堀はクランクで虎之門(虎御門)に向かいます。外堀通りに面した三井ビル前の一角には、クランクの曲り角に設けられた隅櫓の石垣が保存され、外堀の櫓台はあとは筋違門と浅草門のみで、現存するのはここだけだと解説があります。江戸初期の当地は、外桜田門を起点とする小田原道筋にあたり、かつ上水利用の溜池があり、軍事上、都市生活上の要地でした。しかも、自然の起伏を利用することのできない低地ということで、あえてクランクにしてその角に櫓を設ける構造にしたのでしょう。因幡鳥取藩池田光仲が担当し、寛永13年(1636年)に構築されました。
- ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」 「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の南部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載しています。
- ・ 外堀通り 堰のあった特許庁前から、外堀方向を見通しています。外堀は左カーブする外堀通りから若干離れた後、左折していました。
- ・ 櫓台石垣 上掲写真の正面に見える三井ビル手前の、外堀通りに面したスペースに、隅櫓の石垣が保存されています。
- ・ 金毘羅宮 左折する外堀の外側にあった讃岐丸亀藩京極家の上屋敷の屋敷神です。毎月10日には江戸庶民にも公開されていました。