大下水(赤坂川)に戻り、外堀通りの一つ西側の通りを南下します。江戸時代、右手は田町三丁目から四丁目にかけてで、左手は溜池端まで長二百五十間幅五間の明地でした。「明地 赤坂御門外より、溜池御堀に添て、葵坂の上まで打続けり、御普請方の持場にて、松平備前守、松平肥前守等の御預り地なり、宝暦十年(1760年)備前守御預り内田町一丁目より四丁目まで、長弐百五十間幅大下水より御堀の方へ五間通り合千四百坪、伝馬町田町紺屋合羽屋の願に依て、物干場と成り、明和七年(1770年)同所表伝馬町一丁目向弐百七十坪の地も、物干場増地になし給ふと云、」(「御府内備考」)
- ・ 田町三、四丁目境 下水(大刀洗川)の合流があった二、三丁目境からワンブロック、120mほどで、各丁の長さはおおむね同様です。
- ・ 田町三、四丁目境 外堀通り方向で、その先に日枝神社の北側の鳥居が見えています。明治9年(1876年)、溜池最初の橋(日吉橋)が架けられたところです。
- ・ 田町四、五丁目境 赤坂通りを越えます。右手に向うと、乃木坂を経て外苑東通りへと至る通りです。
- ・ 田町四、五丁目境 外堀通りの山王下交差点方向で、日枝神社の大鳥居が見えています。