神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

赤坂田町

2014-10-04 07:06:14 | 城西の堀川3

 溜池を一通りめぐったところで、赤坂見附交差点まで戻ります。鮫川下流の大下水(赤坂川)の続きです。弁慶堀の南岸沿いを元赤坂町、裏表の伝馬町を流れた大下水は、赤坂見附交差点手前で右折、今度は溜池に沿って南下します。溜池と大下水の間には幅五間の明地が設けられ、埋樋の玉川上水が流れていました。一方、幅二間余の大下水の西側は、赤坂田町(1~5丁目)と呼ばれる町屋でした。その名の通り、元は一ツ木村の田地でしたが、隣接する表裏の伝馬町と同様、赤坂門などの普請時に土置場として利用されたあと、南伝馬町の傳馬役三人に給付され、正保年間(1644~48年)までに町屋として起立したものです。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。) 

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    ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の西部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載、上掲地図のグレー枠の部分です。

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    2. 赤坂見附交差点手前で右折します。この右手が表伝馬町一丁目でした。

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    3. エスプラナード赤坂通り(田町通り)の入口で、左手にシフトします。この通りが赤坂田町と明地を隔てていました。

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    4. 左手を並行する通りで、明治の末の地図に赤坂川に代わって登場、ここから六本木通りまで、ほぼ直線で900m弱続きます。