神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

赤坂築地2

2014-10-17 06:53:11 | 城西の堀川3

 赤坂築地の中心は中ノ町と呼ばれる通りでした。「中ノ町 新町四丁目五丁目往来(現赤坂通り)より南の方にて同じ東西の小路なり。」(「御府内備考」) 明治に入り字を変えて赤坂仲之町と一帯の町名になり、現在は赤坂6丁目の一部です。下の地図では日大三高通りとなっているこの通りが、今回の谷筋の底にあたりますが、→ 「明暦江戸大絵図」の描く水路は右岸段丘に沿っており、また「1/5000実測図」もこちらをメインに扱っています。一方、明治末の「郵便地図」は左岸段丘沿いの現赤坂通りに水路を描き、これは前回UPの→ 「明治42年測図」の扱いと同様で、この間付替えがあったのかもしれません。もっとも、大正初めの「地籍地図」を見ると、右岸段丘沿いと中央の通り(中ノ町)に側溝があり、元の水路を埋立てたというわけではないようです。

 

Nakano2

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 右岸段丘沿いの水路跡の路地です。左手の台上は氷川公園ですが、江戸時代は旗本屋敷でした。

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    2. 鹿島建設の二つのビルの間を通り抜け、西に向います。

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    3. 氷川神社に至る氷川坂下に出ます。右写真は坂の途中から中ノ町の通りを見通しています。

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    4. 中ノ町の通りです。左手が日大三高の創立の地ですが、昭和51年(1976年)に町田に移転しました。

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    5. 赤坂通りです。通りの右手には新町四丁目があり、左手には「巾五尺」(「御府内備考」)の下水が流れていました。