A-NUMER-数
WHAT IF IF ONLY-もしも もしせめて
作 キャリル・チャーチル
演出 ジョナサン・マンビィ
翻訳 広田敦郎
2024/9/15 世田谷パブリックシアター
今回の舞台は2本立て。
最初の上演は
「WHAT IF IF ONLY-もしも もしせめて」
15分くらいの短いお話。
大東駿介さんは愛する人を失った苦しみの中にいる「某氏」
キッチンでお酒(?)を飲みながら
現実を受け入れられずに悲しみに暮れている。
もしせめてあのとき、ああしていたら、
もう一度愛する人に会えるなら、
出来ることなら話がしたい、
ただただ愛する人に会いたい・・・
と果てしなく、ひたすらに願い続ける。
そこに現れる、「起きなかった未来」は
赤いドレスを着た浅野和之さん。
かなりヤバい!
それまでの、大東さんの悲しみの空気が一気に爆笑になる。
「未来」が某氏に見せる起きなかった未来や起きえたかもしれない未来は
おびただしい数の映像や声で押し寄せる。
でも、同じく浅野さん扮する「現在(女装じゃない)」が現実に引き戻す。
良いことも、悪いことも、何が起きても起きなくても、
未来に向かって生きていくしかない、ってことを気づかせてくれる。
だって、そうだ、
選ばなかった道はなかった道、って石井ゆかりさんの「青い鳥」って星占いの本にも書いてあったっけ。
当たり前のことだけど、15分くらいの時間の中で
あらためて「そうだよな~」としみじみ思った。
休憩を挟んで
「A-NUMER-数」が上演される
父親ソルターが堤真一さん
息子バーナードが瀬戸康史さん
父と息子が何やら言い争っている場面から話が始まる。
父が息子にいろいろ言い訳をしているのだ。
バーナードが自分にうり二つの人物に会った、というのだ。
どうやら、自分のクローンが複数いるらしい、ということがわかってくる。
最初父は、病院が勝手にやった、とか苦しい言い訳をしているが、
やがて、衝撃の事実が・・・
いろんなバーナードが次々と現れる(瀬戸さんが何役も)のは滑稽でもあるけれど、
じっくり考えると空恐ろしい。
誰かが死んでしまって、その細胞でクローンを作ったとしても、それはもはや本人ではないはず。
でも、愛するわが子や、大切なペットなどを失うときになったら、人はそれでもクローンが欲しくなるのだろうか。
先に上演されたのが、現実を受け入れて未来に進む話なら
こちらはいびつな未来を作り上げてしまう話。
現実にクローンは簡単に作れないけれど、
いつかそういうことが誰でもできるような日が来ちゃうんだろうか、と考えると
ちょっと恐ろしいし、どれがオリジナルでどれがコピーかわからなくなってしまいそう。
でもやっぱり、
過ぎてしまった道は引き返すことが出来ないし、
失ったものは戻ってこない、
ってことを肝に銘じていた方が
人生は輝く気がする。
などと、過去や未来のことをちょっと真面目に考えされられた舞台でした。
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