1月10日の朝、次男と中学の同級生二人は、成人式の式典会場へ向かう。
私達が住む市は、例年成人の日の1日前に式典を催す。
新成人たちは、そのあと、同窓会とかクラス会とか友達同士の飲み会とか、夜遅くまで遊びまわるので、
次の日が祝日でお休みっていうのは気が利いてる、と思う。
案の定、式典から一度帰っては来たものの、そのあとは中学の同窓会へ、そこから中学のクラス会へと流れ、
彼が帰宅したのは深夜1時を回っていた。
でも、そんな時間、我が家にはまだお客様が・・・。
そう、この日の夕方から、親たちも我が家に集まって飲んでいた
ここまで無事に育てたお疲れ様会と新年会をかねて・・・。
長男の保育園時代のお友達の保護者の集まりが今も続いていて、
そのつながりから、お付き合いが広がり、いつのまにか、保育園の枠を超えたメンバーが増えている。
皆、夫婦ともフルタイムで働いているので、子供たちにはあまり手をかけられなかった。
幼少期のトイレトレーニングをはじめ、基本的なさまざまなことは保育園でしつけてもらった、といっても過言ではない。
でも、子供たちはたくましく育ってくれた。
保育園時代の友人は友人と言うより兄弟に近いような。
親たちも保護者同士のお友達というより、お互いの都合の悪いときに助け合ってなんとかその場を乗り切っていた同志のような存在だ。
みんなあまり子供たちのお勉強に力を入れてこなかったので、ずば抜けていい大学に行ったりはしてないけれど、
私達はとりあえず、大きな病気やけがをさせることもなく、無事に生きて20歳を迎えられることを、
同級生やその兄弟姉妹たちが20歳になるたびに祝っている。
そして、親同士、お互いの労をねぎらう。
「私たちもがんばったよね~」と。
今回の宴会には、長男やその友人二人と友人の弟クンも参加している。
弟クンは来年成人式だ。
さて、我が家の宴会はみんなで持ち寄りっていうのが定着している。
私が用意しただけだと
ちょっとスカスカだけど、みんなが揃うと、
一気にどか~んと居酒屋の宴会感が増す。
お料理が上手な友人の一人はお祝いに鯛を煮付けてきてくれる。
物凄く美味しい
こういう集まりを始めたころ、子供たちはとにかくじっとしていなくて、
ばたばた走り回ったり、押し入れなどの中に入ってかくれんぼをしたり、
ケンカして泣いて騒いで、と落ち着いて話なんてしていられなかった。
それが今は、大人たちと同じテーブルで、お酒も飲んじゃったりしている。
私達もあのころはバリバリ仕事していたけれど、少し先には「定年」の二文字が見えてきている。
実際、この日の参加者の男性のひとりはこの3月に定年を迎える。
月日の経つのはホントに早い。
長男は男の子にありがちな小さいころによく熱を出すってくらいだったけれど、
次男に至っては、ここまで来るのが結構大変な道のりだった。
彼がお腹の中にいる妊娠6か月の時、私は運転中に相手が原因の正面衝突事故に遭う。
救急車で運ばれた時には赤ちゃんはもうだめかと思った。
幸いにも、赤ちゃんには何のダメージもなく、私もろっ骨にひびが入ったくらいで済んだ。
妊娠8か月の時には、超音波で腎臓の病気が見つかった。
胎児でもそんなのわかるんだと驚いたものだ。
それから、小学校に入るまではず~っと検査をし続け、途中喘息にもなり、発作で入院することもあった。
入院中、小児科病棟の公衆電話で仕事の打ち合わせをしているところをお医者様にみられ、
「お母さんの顔じゃなかったね」なんて言われたりもした。
それらの病気は成長と共に徐々に良くなり、今の悩みはニキビくらい。
無事に育って本当に良かった
あとはなんとか大学を卒業し、無事就職してほしい。
比較的母性が少ないと言われる私でも、こんなにハラハラするのだから、
ちゃんとしたお母さんたちの心配はどれくらいのものなのだろう。
ともあれ、とりあえず、成人式は無事終わり、本人はものすごく楽しかった、と幸せそうに帰ってきた。
そんな姿をみられれば、もういいかな、と思った成人式の夜でした
月末の期末試験の頃、またハラハラが待っているに違いないけれど
私達が住む市は、例年成人の日の1日前に式典を催す。
新成人たちは、そのあと、同窓会とかクラス会とか友達同士の飲み会とか、夜遅くまで遊びまわるので、
次の日が祝日でお休みっていうのは気が利いてる、と思う。
案の定、式典から一度帰っては来たものの、そのあとは中学の同窓会へ、そこから中学のクラス会へと流れ、
彼が帰宅したのは深夜1時を回っていた。
でも、そんな時間、我が家にはまだお客様が・・・。
そう、この日の夕方から、親たちも我が家に集まって飲んでいた
ここまで無事に育てたお疲れ様会と新年会をかねて・・・。
長男の保育園時代のお友達の保護者の集まりが今も続いていて、
そのつながりから、お付き合いが広がり、いつのまにか、保育園の枠を超えたメンバーが増えている。
皆、夫婦ともフルタイムで働いているので、子供たちにはあまり手をかけられなかった。
幼少期のトイレトレーニングをはじめ、基本的なさまざまなことは保育園でしつけてもらった、といっても過言ではない。
でも、子供たちはたくましく育ってくれた。
保育園時代の友人は友人と言うより兄弟に近いような。
親たちも保護者同士のお友達というより、お互いの都合の悪いときに助け合ってなんとかその場を乗り切っていた同志のような存在だ。
みんなあまり子供たちのお勉強に力を入れてこなかったので、ずば抜けていい大学に行ったりはしてないけれど、
私達はとりあえず、大きな病気やけがをさせることもなく、無事に生きて20歳を迎えられることを、
同級生やその兄弟姉妹たちが20歳になるたびに祝っている。
そして、親同士、お互いの労をねぎらう。
「私たちもがんばったよね~」と。
今回の宴会には、長男やその友人二人と友人の弟クンも参加している。
弟クンは来年成人式だ。
さて、我が家の宴会はみんなで持ち寄りっていうのが定着している。
私が用意しただけだと
ちょっとスカスカだけど、みんなが揃うと、
一気にどか~んと居酒屋の宴会感が増す。
お料理が上手な友人の一人はお祝いに鯛を煮付けてきてくれる。
物凄く美味しい
こういう集まりを始めたころ、子供たちはとにかくじっとしていなくて、
ばたばた走り回ったり、押し入れなどの中に入ってかくれんぼをしたり、
ケンカして泣いて騒いで、と落ち着いて話なんてしていられなかった。
それが今は、大人たちと同じテーブルで、お酒も飲んじゃったりしている。
私達もあのころはバリバリ仕事していたけれど、少し先には「定年」の二文字が見えてきている。
実際、この日の参加者の男性のひとりはこの3月に定年を迎える。
月日の経つのはホントに早い。
長男は男の子にありがちな小さいころによく熱を出すってくらいだったけれど、
次男に至っては、ここまで来るのが結構大変な道のりだった。
彼がお腹の中にいる妊娠6か月の時、私は運転中に相手が原因の正面衝突事故に遭う。
救急車で運ばれた時には赤ちゃんはもうだめかと思った。
幸いにも、赤ちゃんには何のダメージもなく、私もろっ骨にひびが入ったくらいで済んだ。
妊娠8か月の時には、超音波で腎臓の病気が見つかった。
胎児でもそんなのわかるんだと驚いたものだ。
それから、小学校に入るまではず~っと検査をし続け、途中喘息にもなり、発作で入院することもあった。
入院中、小児科病棟の公衆電話で仕事の打ち合わせをしているところをお医者様にみられ、
「お母さんの顔じゃなかったね」なんて言われたりもした。
それらの病気は成長と共に徐々に良くなり、今の悩みはニキビくらい。
無事に育って本当に良かった
あとはなんとか大学を卒業し、無事就職してほしい。
比較的母性が少ないと言われる私でも、こんなにハラハラするのだから、
ちゃんとしたお母さんたちの心配はどれくらいのものなのだろう。
ともあれ、とりあえず、成人式は無事終わり、本人はものすごく楽しかった、と幸せそうに帰ってきた。
そんな姿をみられれば、もういいかな、と思った成人式の夜でした
月末の期末試験の頃、またハラハラが待っているに違いないけれど