昨日は、広島の原爆の日でした。
この事については、その日が訪れる度に、ブログに私の気持ちを綴ってきました。
いつも似た思いと感慨で、同じことしか書けない私が、少々恥ずかしいです。
昨日の式典のテレビ映像をカメラで撮ったものです。
但し、去年、初めて目にした原爆投下後の衝撃的な画像は、今も忘れられません。
下の画像です。
カメラに収めて保存していました。
父が定年になるまで勤め上げた会社の原爆投下直後の画像です。
爆心地から徒歩で行けるほどの距離。
一キロ程度だと思います。
恐らく定時に出勤した人は,ほとんど亡くなられたのではないでしょうか。
この日、父は幸運にも、九死に一生を得て助かりました。
何故なら、前日まで出張に出かけていた社員は、その翌日は出勤を少し遅らせて良かったからです。
何と言う強運に恵まれた父だったのでしょう。
紙一重の幸運とは、こんなことを言うのかもしれません。
その運は、父だけのものではありませんでした。
母も、そうです。
実家の裏の通りの主婦の方々は、その日街の中心に勤労奉仕で出かけ、ほとんどの方々が亡くなられたそうです。
実家がある通りは、その翌日が奉仕の日でした。
原爆投下が7日でなく6日だったために、我が家は家族全員が助かりました。
奉仕の日は、母は私を背負って出かけたでしょうから、私もこの世にいませんでした。
この写真はいつも飾っています。
写真の翌年私が誕生し、その翌年家族は3キロの地点の自宅で被爆しました。
幸いにも、我が家はガラスが割れた程度で被害を免れました。
ご近所の家は爆風で傾いた家も多かったようです。
人の運というのは、状況次第でまるで違ってくる。
こればかりは自分で選べるものではありません。
何時、何が起きるか分からない。
大地震もそうですね。
其の時の状況次第で、生死が左右される。
そう思うと、迎える一日一日の大切さを改めて思わないではいられません。
戦争、原爆、その他の災害で命を落とされた方々へ思いを馳せましょう。
そして、何時何が起きるか分からない世の中への覚悟と諦めも兼ね備えていたい。
そして、ひと時、ひと時を抱き締めるような思いで大切に過ごしたい。
無事に過ごせている事への感謝を忘れないようにして・・・。
権威主義と資本主義の拮抗がますます激しさを増す世の中。
将来戦争が起きてもおかしくない、そんな不安定さを今は感じています。
地球も、異常気象でなんだかおかしい。
人類の英知で、今の状況が改善され、核も廃絶し、理想郷のような世界平和が何時か実現しますように。
子供達と孫達のために、そう願って止まない私です・
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