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一条鞭法の問題点が明を滅亡させていった

2014年07月25日 | 高3用 授業内容をもう一度

地税と丁税を一括して銀納するのが【一条鞭法】です。一括してとは、別々の税だけどまとめて納めるということです。しかし、一条鞭法には問題点がありました。
 まず、メキシコ銀と日本銀が大量に入ってくることを前提にしている点です。しかし、【1588】年【アルマダの海戦】でスペインの【無敵艦隊】がイギリスの将軍【ドレーク】に敗北すると、スペインのアジア貿易は急速に規模を小さくしました。イギリスも【1603】年に【エリザベス1世】が死に、【スチュアート】朝になると政治が不安定になり、【1642】年には【ピューリタン革命】が始まります。ヨーロッパ大陸諸国は【1618】年からの【30年戦争】に巻き込まれ、明との貿易どころではありません。一方、日本も江戸幕府が1641年から鎖国を始めます。こうして17世紀になると一条鞭法の前提が崩れていったのです。
 また、農民にも銀納を求めたことで、日頃、【銅銭】で生活している農民は、税を納めるために銅銭を両替商に行って銀に換えて税を納めなければならず、両替商に騙されて高い手数料を払わされたりして無駄な出費が増えていました。それだけでなく、17世紀になって銀が入ってこなくなったので、銀の価格が【高騰】しました。税金の額は変わらなくても、銀に両替するために必要な銅銭の量は増えましたから、農民の負担はさらに大きくなったのです。
 さらに、17世紀になって銀が入ってこなくなって、江南地方では不景気になりました。仕事が減って失業者が増え増したが、失業してしまった男性にも丁税は掛かります。(ただし財産がないので地税は掛かりません)しかも丁税を銀納しなければならない。これは大きな問題です。
 このようにして、明は急速に社会が混乱していき、1631年から始まる大農民反乱の【】李自成の乱で、【1644】年に滅亡していきました


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