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ササン朝ペルシアとローマ帝国の関係

2012年01月19日 | 高3用 授業内容をもう一度
 紀元前【3】世紀から紀元後【3】世紀までイランを支配した【パルティア】は、【アルサケス】が建国した。彼の名からパルティアを中国では「【】安息」と呼んでいる。パルティアはローマと【シリア】を巡って対立し、【第1回三頭政治】の【クラッスス】を戦死させた。
 一方、ヘレニズム国家であるギリシア系の【セレウコス朝シリア】は、パルティアに帝国の東方地域を奪われたが、シリアの【セレウキア】に遷都しつつ延命していたが、第1回三頭政治の【ポンペイウス】によって前【64】年に滅ぼされた。
 次いで【226】年に【アルデシール1世】が建国した【ササン朝ペルシア】は、第2代【シャープール1世】のとき最初の全盛期を迎えた。260年【エディッサ】の戦いでは、軍人皇帝時代で内乱状態にあったローマ帝国の軍人皇帝【ヴァレリアヌス帝】を捕虜にしている。
 ローマは【395】年東西ローマに分裂。東ローマ帝国は6世紀【ユスティニアヌス帝】の時全盛期を迎えた。これに対抗したのが、ササン朝ペルシア第2期全盛期を現出した【ホスロー1世】で、シリアを巡る争奪戦を繰り広げた。

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