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キリスト教を最後に弾圧して背教者ユリアヌス帝

2022年08月05日 | 高2用 授業内容をもう一度

 【ディオクレティアヌス】帝は【皇帝崇拝】を強要してキリスト教徒を大弾圧しました。これに対して、約40年後に登場した【コンスタンティヌス】帝は、【313】年にキリスト教を【公認】しています。しかし、両者の間にはれほど大きな差はなかったともいえます。つまり、コンスタンティヌス帝が【アタナシウス】派に絞ってキリスト教を保護し、アリウス派を弾圧したことは、皇帝の権威を強化することを意図したと考えられるからです。皇帝が定めた神のみを信仰する、とうい点で両者は共通しているわけです。
 一方、「【背教者】」といわれる皇帝が【ユリアヌス】帝です。彼はコンスタンティヌスの甥で、ギリシアで軟禁されたまま養育されました。軟禁生活の中、彼が唯一自由に行えたのはギリシア哲学を学ぶことだけであったようです。この頃、彼は多神教に触れて育ち、その結果、帝国の一神教化への危機感などから、キリスト教に反感を抱くようになったと考えられています。
 内戦を終結させて皇帝になったユリアヌスが真っ先に行ったのは、ギリシャやローマの伝統的な宗教を復活させ、キリスト教徒によって破壊されていたそれらの神殿を再建することでした。また、【ミトラ】神へのいけにえの儀式を盛んに行ったいます。
 キリスト教を禁止したわけではありませんが、キリスト教の聖職者の持っていたさまざまな特権をとりあげました。当時から既にキリスト教会は教義をめぐる宗派争いが多く、さまざまな特権を利用して、かなり聖職者たちが好き勝手なこと行なっていることに対する不快感も強かったようです。しかし、後世の人たちは彼を『背教者』と呼ぶようになりました。


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