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中国社会経済史のまとめ

2014年07月25日 | 高3用 授業内容をもう一度

中国の商業と通貨には中国独特の歩みがあった。商業は周代にはそれほど盛んではなかったが,春秋時代には発展を示し,通貨はそれまでの貝やそれを模したものに代わって【金属貨幣】が広く用いられるようになった。【戦国時代】になると,農具型や【刀剣】型の貨幣が流通し,人口が数万に達する都市も出現した。
 前漢には,製鉄業の発展に基づく【鉄製農具】の普及により農業生産が拡大し,「都会」と呼ばれる経済都市が全国に10あまり出現していた。後漢では匈奴など周辺民族との間に「合市」と呼ばれる市場が開かれた。東晋の都建康,北魏の遷都後の都洛陽は,いずれも【商業都市】として栄えた。
 唐代には,農具の改良や広範な灌漑事業により,農業生産が急成長を遂げ,それに伴って商業も発展した。都市では【行】と称される商人組合が出現し,農村では【草市】と呼ばれる定期市が開かれた。
 唐代後期には,都市の中の住宅地区である【坊】と商業地区である【市】の区分がゆるみ,また夜でも市場を開くことが許された。さらに【飛銭】と称される一種の手形制度も出現した。
 宋代には人口百万と称された首【開(かい)封(ほう)】都をはじめとして,大きな都市が多数出現した。海外貿易を管理する機関である【市舶司】は,唐代には【広州】だけに置かれていたが,宋代には明州や【泉州】などにも置かれるようになった。
 宋代に【交子】と称される紙幣が流通を始め,南宋では【会子】と呼ばれる紙幣が流通した。元朝は金,銀,銅銭の流通を禁じて【交鈔】という紙幣を広く流通させた。この紙幣は金,銀と兌(だ)換(かん)できたために信用を得,商業の発展を促したが,王朝末期には濫発により物価騰貴などの混乱を招いた。元朝は穀物などを江南から首都【大都】へ運ぶために【大運河】を開き,これにより商人たちの商業活動も便利になった。
 明代には,海外から銀が大量に流入したことにより,銅銭や紙幣に代わって銀が主要な通貨となった。絹織物業の【蘇州】,陶磁器の【景徳鎮】など手工業都市が発展し,商業の一層の発達を促した。商人たちは同郷者,同業者の互助組織を作り,【会館】や公所を設けた。
 清代には,塩業の【安徽商人】,金融業の【山西商人】など大商人の集団が生まれた。広州では特許商人組合である【公行】を窓口として独占的な海外貿易が行われた。19世紀になると密貿易により【銀】が中国から流出する事態が出現し,人々の生活に打撃を与えた。同世紀中葉以降,【上海】などの開港場が新しい商業都市となった。
 清末から民国時期にかけては,中国では銀や地方発行の紙幣などさまざまな通貨が使われた。しかし1930年代半ばにいたって【幣制改革】が実施され,国民政府が主管する銀行が発行する紙幣が主要通貨の地位を獲得した。
 中華人民共和国では,毛沢東が率いる政権は建国前後に農民に土地を与えたが,彼らの自由な商業活動には消極的であった。しかし1980年代以降商業の自由化が進んだ。


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