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長期戦・消耗戦・総力戦としての第1次世界大戦

2014年10月07日 | 高3用 授業内容をもう一度

 第1次世界大戦が長期化すると、国民生活を巻き込む始めての戦争となった。2次元的にしか展開しない戦場は、【塹壕】が掘られたために膠着し、開戦時からほんの数キロメートルの攻防が繰り返されるのみであった。その結果、戦争の勝敗はその国の持つ工業力の体力に左右される可能性が高まった。
 英仏海軍は消耗戦を優位に展開するために、ドイツと中立国や植民地とを遮断するための方策を採った。イタリアを味方につけバルカン半島の戦場を優位にし、海上からドイツの艦船を締め出すことに成功しはじめた。ドイツは独力でこのような情勢を乗り越えていたが、もっとも早く疲弊したのはロシアであった。ロシアは大戦前に急激に工業化してきた歪みが噴出し、国民経済はほぼ完全に破壊され、【反戦運動】が各都市で発生した。
 【1917】年3月ロシア革命が発生するとドイツ軍は東部戦線から西部戦線に展開され、一気にドイツ軍が戦況を優位にするかに見えた。そのとき、【アメリカ】が、【1823】年の【モンロー宣言】以来続けていた【孤立外交】政策を放棄して大戦に参戦する。しかし、アメリカ軍がフランスに上陸するのは夏ころになった。この結果、ドイツの優位は失われ、戦争は再び消耗戦に戻る。
 しかし、戦争の終結に新しい要素がこのとき加わった。1点目は、【ウィルソン】大統領の【14カ条】で提案された、【民族自決権】と【恒久的国際平和機構】の創設というような、多数決で紛争を解決するという「民主主義的理想」。2点目は、ロシア11月革命成功直後、【レーニン】が「【平和に関する布告】」で提唱した【無賠償・無併合】、資本主義社会の歪みから生じた帝国主義を否定する「社会主義的理想」である。レーニンの呼びかけは資本主義の下で苦しい生活を余儀なくされていた労働者などの民衆に対するもので、戦後のあたらしい社会が彼らの手の内に入という夢を提供していた。この新たな要素にしたがって、ドイツでも反戦運動が発生し、消耗戦によって勝敗が決する前、【1918】年11月に【ドイツ革命】が発生してドイツ帝国が消滅するという形で、戦争が終結した。


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