8世紀に入るとすぐにウマイヤ家カリフとしてワリード1世が即位しました。彼は東はソグディアナから西北インドのシンド地方まで征服し、西へはジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に達しました。当時イベリア半島にはゲルマン民族の西ゴート族が建てた西ゴート王国が都をトレドにおいていました。711年ワリード1世の軍隊はこれを滅ぼし、以後1492年までスラム勢力がイベリア半島を支配する端緒となりました。このようにして、ワリード1世の時代のウマイヤ朝はイスラム教の単独王朝として最大版図を現出しました。
ただし、注意したいのは、イベリア半島を支配下に置いたウマイヤ朝はさらにピレネー山脈を越えて現在のフランスにあったフランク王国に、何度も侵略を試みている点です。とくに732年のトゥール=ポワティエ間の戦いは有名です。この戦いはフランク王国を率いた宮宰カール=マルテルが奮闘し、キリスト教徒を率いてウマイヤ朝の軍勢を撃退しています。「マホメット無くしてカール大帝なし」という有名な言葉は、イスラム教徒からキリスト教世界を守ったカール=マルテルの孫カール大帝が、キリスト教世界の支配者として君臨したことを示しています。ただし、もうひとつ注意したいのは、この732年トゥール=ポワティエ間の戦いの時には、ワリード1世はすでになくなっている点です。
ただし、注意したいのは、イベリア半島を支配下に置いたウマイヤ朝はさらにピレネー山脈を越えて現在のフランスにあったフランク王国に、何度も侵略を試みている点です。とくに732年のトゥール=ポワティエ間の戦いは有名です。この戦いはフランク王国を率いた宮宰カール=マルテルが奮闘し、キリスト教徒を率いてウマイヤ朝の軍勢を撃退しています。「マホメット無くしてカール大帝なし」という有名な言葉は、イスラム教徒からキリスト教世界を守ったカール=マルテルの孫カール大帝が、キリスト教世界の支配者として君臨したことを示しています。ただし、もうひとつ注意したいのは、この732年トゥール=ポワティエ間の戦いの時には、ワリード1世はすでになくなっている点です。