FORZA世界史inBLOG

世界史の復習をサポートするブログです

ウィーン体制とは

2023年05月30日 | 高3用 授業内容をもう一度

 フランス革命は自由主義と国民主権こそが正しい社会のあり方だと考えたといえます。自由主義というのはそれまで生まれや身分によってその人ができることに制限があったのに対して、努力をすれば様々な可能性が広がっているのだ、という考え方といってよいでしょう。また、国民主権は国王が決定権を持っていた絶対王政に代わって、フランスに住む抱いた済む9割以上の人々が、自分の意思を政治に反映したほうが、優れ結果を出しやすいと考える考え方です。
 フランス革命で正しいと考えられた国民主権は、ドイツにある国王や諸侯にとっては危険な思想でしたが、その一方で、ドイツではもう一歩手前から考える必要がありました。そもそもドイツ語を話し、同じ歴史を共有し、文化面でも同じ詩を読んできた人々にとって、「国民」とは誰なのか?という問題です。ザクセン公国に住む人々はザクセン人なのか?ドイツ人なのか?プロイセン王国に住む人々はプロイセン人なのか?ドイツ人なのか?フランス人と戦ったかれらは、自分たちをドイツ人を認識したのです。
 ドイツ人と考える人々にとって、領邦に分裂したドイツは統一する必要があります。すなわち国民主権実現の前に、ドイツ統一を目指すわけです。このような動きを「国民主義」といいます。フランス革命の国民主権の考え方は、そもそも「国民」が存在しないヨーロッパ各国では、国民主義という形で現れることになりました。
 しかし、支配階級にとって国民主義は、それまであった国家の枠組みを壊すことになります。ザクセン公国はドイツ国民主義の前には消えてなくなり、「ドイツ」という国が成立すると、「ドイツ」の一地方に過ぎなくなります。その場合、ザクセン王国の支配所階級は、それまでの特権を失ってしまいます。したがって、各君主国の支配階級は協力して「国民主義」を打倒しなければいけません。そのために成立した君主国の協力関係を「ウィーン体制」というわけです。「国民主義」を目指す人々の動きを軍事力で弾圧する仕掛けが「4国同盟」でした。


最新の画像もっと見る