L128W14
2010年 世界史 2/15
【4】
以下の文章(イ)~(ホ)を読んで,空欄( A )~( J )にもっとも適切な語句を記入しなさい。
(イ) 世界に先駆けて石油産業を発展させたのは,アメリカである。1850年代前半にペンシルヴァニアで油田が発見されてからしばらくの間,石油は主として照明用の灯油として使われていた。しかし,20世紀に入って自動車産業がさかんになってくると,内燃機関の気化燃料として使われるガソリンの重要性が高まった。これをうけて石油の精製,輸送,貯蔵,流通,そして後には生産をも行う会社を興すのは,( A )である。彼は,1870年スタンダード石油会社を設立,その後も数々の関連会社をつくってトラストを結成,石油業界を支配していった。しかし,1890年に制定された独占を禁ずる反トラスト法の一つである( B )法に違反するという判決が連邦裁判所によって出されると,( A )が築いた一大企業体はいくつかの会社に分割,解体された。しかし,実際にはスタンダード石油会社の流れをくむ会社は,今に至るまで世界の石油産業を支配するメジャーとして生き残っている。
(ロ) 1870年代になると,当時,帝政ロシアの支配下にあったカスピ海西南のアゼルバイジャン,その中心都市バクー近郊でも石油の採掘がはじまった。この地域では古代から石油が地表ににじみ出ていることが知られており,そうしたこともあって火を神聖視するゾロアスター教信仰が盛んであった。この新しい産油地域には帝政ロシア国外からも資本が投下され,大きな石油会社がつくられた。その代表がダイナマイトを発明した( C )の兄弟がつくった会社である。ちなみに,この会社に勤める技師の子供の家庭教師としてバクーにやって来たのが若き日のスウェーデンの探検家ヘディンである。彼はこれを機縁に未知なるアジアへの夢をつのらせ,後に今の中国・新疆ウイグル自治区を中心とする地域の探検の旅に乗り出していくことになる。バクーは石油産業の発展にともなって帝政ロシア有数の工業都市に成長したが,それにともなって資本家と労働者の対立も激化した。その結果,ロシア革命が起きると,バクーは首都のペトログラードに劣らぬ革命の舞台になった。ここで一時,社会主義運動・労働運動に参加したのが,後にソ連の指導的政治家になるグルジア人で本名ジュガシヴィリ,通称スターリンである。彼は一国社会主義論を唱え,世界革命論を主張する( D )と対立した。
(ハ) 第一次世界大戦は石油の需要とその重要性をさらに高めた。この時期に石油を動力源とする新しい兵器が開発された。たとえば,ソンムの戦いではじめて使われた戦車やディーゼル機関で動く潜水艦がそれである。また,馬に代わって武器・弾薬・食糧を運ぶ自動車や偵察用として使われようになった飛行機にも石油は必需物資であった。こうした状況は飛行機,軍艦が主たる戦闘手段になる第二次世界大戦期になるとさらに加速し,各国は競って油田地帯を押さえようとした。ドイツはカスピ海西南のバクー近郊の石油を獲得すべくソ連領内に侵攻した。また,日本はアメリカ大統領ローズヴェルトが発した石油禁輸措置に対抗して,東南アジアの産油地域に進出した。日本が攻撃したのは,マラッカ海峡に面する( E )島である。その東岸パレンバンのあたりは,1880年代以降オランダ系の石油会社ロイヤル・ダッチによって開発が進められたが,ここに日本は軍隊を送り,占領した。ちなみに,パレンバンは,かつてこの島で仏教が栄えていた頃( F )王国の中心地であったところである。日本はこれと並んで南シナ海,マカッサル海峡に囲まれた島にも進出して軍政下に置いた。日本占領以前,この島の油田を開発していたのは,イギリス系の石油会社シェルであった。
(ニ) 現在,世界でもっとも多くの石油を産出しているのは,中東イスラーム世界を構成する諸地域である。しかし,これらの地域で石油が発見されるのはアメリカや帝政ロシアに較べるとはるかに遅く,20世紀に入ってからのことである。1908年イラン西部で油田がイギリス人のダーシーによって発見されたのがその嚆矢である。1890年代のはじめ,イランでは外国の資本・企業に自国の経済的利権をむやみに与えることは国益を損ねるとの思いから( G )という民族運動が起こされ,利権廃棄に成功したが,石油にかんしては当時イランを支配していたカージャール朝はダーシーに開発利権を与えた。これをきっかけにアングロ・ペルシア石油会社(後に「アングロ・イラニアン石油会社」と改名)が設立され,採掘から精製,流通まですべてを独占的に行っていった。しかし,第二次世界大戦後,イランで民族主義が高揚すると,イギリス系の会社が石油事業を独占するのは不当であるとの声が高まり,1951年国有化運動が起こされた。その指導者は当時,首相を務めていた( H )である。この石油国有化運動が起こされた頃は他の中東イスラーム諸国でも民族主義の意識が高まった時期で,エジプトではムハンマド・アリー王朝を倒して革命政権を樹立したナセルによってスエズ運河が国有化された。
(ホ) イランに次いでアラブ地域のイラク,ペルシア湾岸諸国,サウジアラビアでも油田が発見された。ただ,開発が本格的に行われるようになるのは,第二次世界大戦後のことである。これらの地域における石油の生産と流通は,イギリス,アメリカなどの欧米系の石油会社によって牛耳られていたが,1973年に第四次中東戦争が勃発すると,イスラエルを支援する国々に反感をもつアラブの産油国は,1968年に結成されたOAPECと略称される( I )を通じて禁輸措置に踏みきった。これによって世界の石油価格はそれまでの価格の四倍にも跳ね上がり,オイル・ショックが世界を襲った。このような石油供給をめぐる世界的な経済危機は,1979年イラン・イスラーム革命後の混乱期にも繰り返された。
石油は人間生活を豊かにするとともに,資源をめぐって国際的な紛争の種にもなるものである。近年では1990年のイラクによる( J )侵攻にはじまる湾岸戦争を例として挙げることができる。( J )は,19世紀末イギリスの保護国となり,1960年代初頭に独立を果たしたが,イラクは( J )が固有の領土であると主張してそこを併合しようとしたのである。
石油に代わる代替エネルギーが現在,さかんに開発・研究されつつあるが,決定的に代わるものとはなっておらず,石油の重要性はまだまだ続くはずである。
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