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オリエント文明を整理すると

2009年04月08日 | 高校1年生用
※概観
 古代オリエント史はティグリス・ユーフラテス河流域のメソポタミア地方と、ナイル河流域のエジプトの2地域が中心となっている。これに地中海東岸地域とアナトリア(小アジア)を加えて考えていけばよい。これら地域毎に分けて古代オリエント史を考えることが多いのだが、じつはオリエント世界全体を掌握しながら、時代区分を行って見ていくほうが理解し易いのである。
 すなわち、シュメールから始まった古代文明が、農耕文明としてチグリス・ユーフラテス河流域で成熟していき前18世紀のバビロニアで集大成される時期が『第1期』。この時期ではエジプトも同等レベルの文明を完成させたといえる。
 次いで前20世紀頃の中央アジアから始まった遊牧民族の大移動が古代オリエント世界にも波及してきた時期が『第2期』である。『第2期』を理解するためには古代世界の中央アジアからインド、オリエントに至る国際情勢を知る必要がある。この人類史上最初の民族大移動はインド・ヨーロッパ語族の移動で、彼らは馬(馬の原産地は中央アジアであるため彼らが馬を使用したことに不思議はない)を所有したため圧倒的な軍事力で移動先の農耕文明を征服した。インドのインダス文明を破壊したのも彼らの一派であった。そして古代オリエント世界にはミタンニ、カッシート、そして後に鉄器を発明するヒッタイト人が侵入し、先行の農耕文明を征服した。その余波はエジプトにも波及し中王国が滅亡している。この『第2期』は前18世紀から前12世紀頃まで続いた。この時期の古代オリエント世界はダイナミックな動きを見せ、国際関係にもとづく外交政策も展開された。この時代は謎の民族である「海の民」の侵入で幕を降ろすが、鉄器の普及をともなった古代オリエント世界の活発化は、農耕によらず商業活動を主体とする民族に活躍の場を提供することになる。
 『第3期』は海上で商業活動をするフェニキア人や陸上交通を交易の場とするアラム人、古代オリエントの商業世界全体の統合を目指したアッシリア人などが競い合った時代である。フェニキア人とアラム人は「海の民」消滅後に軍事的空白地帯となった地中海東岸を本拠地にしたが、アッシリアはティグリス河上流から勃興したため、まず最初にメソポタミアの既成勢力と自国の存亡を賭けた抗争に勝利しなければならなかった。そのためアッシリアはフェニキアやアラムと違い、軍事大国化の道を歩んだ。
 『第3期』が古代オリエント世界の商業活動を巡る争いであったと理解すれば、アッシリアがフェニキアの都市を徹底的に破壊した理由が知れよう。アッシリアはオリエントの統一に成功したものの官僚制度などの基本的統治機構を持たなかったためにまもなく崩壊した。
 そして『第4期』では、その欠点を十分に解消した統一国家アケメネス朝ペルシアが、西方のギリシア世界と関わっていく中で、古代世界そのものが大きく範囲を拡大していくのである。

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