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チベット史

2012年12月07日 | 高3用 授業内容をもう一度

 【乾隆帝】が行った1720年のチベット遠征以来、チベットは中国支配に組み込まれた。現在、チベットは中国の四川省・青海省・西蔵(チベット)自治区に分割されている。世界史にチベットが最初に登場するのは五胡十六国時代の【テイ】・【羌】である。
 その後、7世紀初頭に【ソンツェン=ガンポ】がチベットに統一王朝を建設し、中国(【唐】)はこれを【吐蕃】と呼んだ。この国は唐との関係が深いが、【漢字】を基にして【チベット文字】を作るなどもしている。9世紀中頃に吐蕃は滅亡するが、これによりチベットは分裂時代に入り、14世紀になって再統一される。

 チベットはインド・中国から文化的影響を受けたが、とくに8世紀後半から【ラマ教】(【チベット仏教】)を国教とした。ラマ教は5世紀頃から衰退したインド【大乗仏教】を継承している。14世紀末~15世紀前半に登場した【ツォンカパ】は戒律主義を説いてラマ教を改革し、【黄帽派】を創始した。これに対して旧来のラマ教を【紅帽派】と呼ぶ。【タタール】部の【ダヤン=ハン】が信仰し保護したのが【黄帽派】であり、現在では黄帽派が圧倒的多数を占めており、ツォンカパの弟子から【ダライ=ラマ】の転生が確立した。

 中華人民共和国建国後、人民解放軍はチベットに侵入し、1951年の【中国・チベット協定】でチベットの【自治】が約束された。しかし、共産党のラマ教への干渉を嫌ったラマ僧が反発し、【1959】年には【チベット反乱】に発展した。この反乱は鎮圧されたが、【14】第代ダライ=ラマはインドに亡命し。このためダライ=ラマの扱いに対して中印国境紛争が発生している。


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