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古代インド史を概観します

2012年08月02日 | 高3用 授業内容をもう一度

 紀元前6世紀頃,アーリや人の活動の中心はガンジス川中下流域にうつり,十六王国と称される諸国が分立しましたやがてそのひとつマガダ国が勢力を拡大し,紀元前5世紀初め,強国のコーサラ国を破って覇をとなえます。
 この時期は,新しい価値観を模索する思想家たちが活躍した時代でもありました。その代表が仏教の祖ガウタマ=シッダールタ(仏陀,釈迦牟尼)ジャイナ教の祖ヴァルダマーナ,ともにクシャトリア階級の出身です。かれらはバラモンや聖典ヴェーダの権威,ヴァルナによる身分差別を批判して,煩悩からの解脱を説き,クシャトリア階級だけでなく,広く商工業者などにも受け入れられました。

 紀元前4世紀末,アレクサンドロス大王の遠征軍がインド西北部から撤退したあと,マガダ国ではチャンドラグプタが王位を奪い,パータリプトラ(現在のパトナ)に都をおき,アウリや朝を創始しました。かれはインダス川流域からギリシア人の勢力を駆逐し,北インドをはじめて統一しました。
 ついで第3代のアショーカ王の時代に,マウリや朝の支配はほぼインド全域に及びました。しかし,アショーカ王はカリンガ国を征服した際に戦いの悲惨さを痛感して仏教に帰依し,武力ではなく,ダルマ(理法)による統治を宣言して,これを磨崖碑や石柱碑に刻ませました。
 アショーカ王の死後,インド西北部はバクトリアのギリシア人や,イラン系遊牧民の大月氏などの支配をうけ,1世紀後半にはクシャーナ朝が勢力をのばします。2世紀半ばのカニシカ王の頃,クシャーナ朝はガンダーラ地方のプルシャブラ(現在のペシャワール)を都とし,西トルキスタンからガンジス川中流域までの地域を支配しました。王は仏教の保護者としても知られるが,この頃,仏教にも新たな展開が見られ,「空」の思想を確立したナーガルジュナ(竜樹)らによって大乗仏教の教理がととのえられ,インド西北部ではヘレニズム文化の影響をうけて仏像がつくられるようになりました。
 4世紀初め,ガンジス川中流域におこったグプタ朝は,第3代チャンドラグプタ2世の時期に全盛をほこるが,中央アジアの遊牧民族エフタルの侵攻によって疲弊し,6世紀半ばに滅亡します。
 7世紀初めに北インドを統一したハルシャ=ヴァルダナ(漢語では戒日王という)の王国が,古代インド最後の統一国家となりました。王の死後,王国の支配体制は解体され,ラージプートという小領主が割拠する時代が続くことになります。仏教もまた,この時期をさかいに衰退し,バラモン教に民間信仰などが融合して生まれたヒンドゥー教がインドの民族宗教として発展していきました。


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