Reflections

時のかけらたち

この世界とわたしのどこか ・・・somewhere between me and this world

2013-01-21 23:18:05 | a day in the life


日曜日の朝、いつものスーパーマーケットまで
買い物に行く途中、メジロの鳴き声がして見ると
たくさん地面に落ちた柿を食べにやってきていた。
そのあとで貪欲な感じのムクが来てメジロを
追いやっていた。
カメラを持っていなかったので残念。買い物はやめて
カメラを撮りに戻ろうかとも思ったが、午後のスケジュールもあり
断念した。

午後はホームに行く時間の合間に写真美術館に
よって久しぶりに写真を見る。
最近はホームへは週の半ばと週末1回にしているが
食欲もなく、食べられそうなものを持って行って
少しでも元気になってもらいたいという気持ち。
それに月曜日の大学病院での検査結果がぐんと悪くなっていて
数値を見るだけで落ち込んだ。
病気と闘う人も、それに付き合う人もしんどい。
昨日はホームから帰って風邪っぽく寒気を感じたので
早めに寝ることを心がけ、12時前に寝ることができた。

久しぶりに見る写真展は刺激的だった。
写真とはその人と現実の接点だから。
1つの写真展は「この世界と私のどこか」5人の女流作家の作品。
私は蔵 真墨という人のお伊勢参りが良かった。

「蔵のお伊勢参り 視線の冒険」************************************
現在の自分や過去の自分、もう会わないであろう親しかった人、
過去の兄や母に街中で出会うことがある。それはもちろん本当はそのような
雰囲気のある知らないだれかであるのだけれど。そのとき私は闇のなかで
小さな光を見つけたに感じる。その灯りは一瞬のもので次の瞬間には
その人は私の勝手な思い込みから離れて別人の顔に戻ってしまう。
それで私はその灯りが消えないうちにさっさと左手と右手を動かす。
しかし私の視線はセンチメンタルではない。私のものの見方を写真という形に
したとき、一般的には冷え冷えとしたものだった。私はそれが普通だと思っていたのだが
普通は人それぞれにあることを知った。
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「いつか見た風景」はほぼ同時代の作家の作品。
学園紛争を内部から撮った。ロックアウト内部の風景
デモの黒白写真。モノトーンの迫力を感じました。
それにあのデモをしている活動家たちのあの顔は
現代にはもういない顔。
時代の差をまざまざと見せつけられた。


(写真は前回と同じ時の昭和記念公園で)

コメント
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