“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

漢字と出会ったころのこと

2015-02-10 23:55:03 | 日記
こんばんは。

昨夜の帰りの時刻には、冷え込みがきつくなりました。

勤務地の駅のホームに設置された待合室にいると、

「間もなく、上り電車が通過します。雪が舞い上がりますので、下がってお待ちください。」

と、いつもと違うアナウンスが流れたので、あっ、今日はそういう位置付けの日なんだな、と驚きました。このパターンのアナウンスは、十年以上通勤していて数回しか耳にしたことがありません。
(パターン自体最近できたのかも?)

いつもだと、

「間もなく、上り電車が通過します。ご注意ください。」

としか言わないのです。

いつもは通過電車があると耳を塞いで俯きがちにやり過ごすのですが、今日は通過後に漂う雪煙を見逃がさじと、つい一心に見守ってしまいました。


2月はじめに、ひとつ我ながら唖然としたことがありました。
必要があってタクシーを自分の名字で予約して、乗り込んだところ、ドライバーさんが笑顔でちょっと振り返って、
「奇遇なんですけど、ぼくも○○[=しろねこの名字]なんですよ」
とにこやかに言うではないですか。

私の住んでいる県では私の名字はそれほど多くはなく、大体1年に1人~2人お見かけする程度です。また、私の家系は全く別の地域なので、このドライバーさんはどうなのだろうと興味がひかれて、
「どちらの地域なんですか?」
と聞いてみました。
すると、
「ぼくはむこどのなんですけど、…」
と言うので、
「むこどの」??そんな地名あったっけ、武庫川じゃないし、うちの県だろうか、私、地名の知識ないもんな………と一瞬悩んでしまい、
「むこどの、ってどこですか??」と尋ねると、
「むこどのって、お婿さんですよ」とそのドライバーさんは屈託なく返してくれました。
あっ、「ムコ殿」ね!我ながらアホな質問をしてしまった、と思わず笑うと、そのドライバーさんは、奥さまのご実家の地域を教えてくれました。

地名を聞こうとするあまり、地名でないものまで咄嗟に地名の意味に変換しようとしてしまった自分の神経の融通の利かなさに、呆れてしまいました。



ところで、自分が生まれてから、漢字に出会ったころのことを思い出してみました。

自分が漢字という文字を使って生きていくことになるんだなあ、となんとなく自覚したはじめの記憶は、多分、幼稚園の終わりごろ、自分の名前の漢字の字体について、父と母の見解が違っていた、という出来事です。

小学校に上がる前に、母は私がそろそろ自分の名前を漢字で書けるようにと思ったらしく、紙に縦書きで私の氏名を書いてくれました。

記憶が確かなら、テーブルについた私の目の前にその紙が置かれていて、右に母、左に父がいました。

ここで、私の名前をつくっている文字の片方は、旧字体にすると点がひとつ増えるのですが、
点をつけずに書かれた母の肉筆に対して、父は、点がつくはずだ、と話しかけたのです。

父と母はかなりの年の差だったので、父が戦後まで旧字体とともに生きてきた人だったことを考えると、父の感覚は当然と言えば当然です。対して母は当用漢字以降の人なので、二人はそれぞれの字体での教育が別々に身についていた、ということになります。

父と母の、「点はつく」「いや、つかない」という会話を聞きながら、なんとなく、点はつかないんじゃないだろうか、と考えていたのは、幼いなりに点の無いほうが既視感があったのかもしれないし、より頻繁に会話をしていた母の説のほうを信じたくなる傾向が、当時の私にあったからかもしれません。

でも父にしてみれば、本当に点がつくのに、と思っていたのでしょうね。
私が父とこのことについて話をする機会は、遂になかったのですが。


……私の名前のもう片方の漢字は、実は奇遇にも、父の名前にも母の名前にも含まれています。
ですから、いつでも自分の名前を思えば、おのずと父と母とともにいるような感覚になれるのです。