資格マニアの徒然草ブログ

目標としていた70歳で五百資格、2年前倒しで達成しました、これからはジャンルに関係なく、徒然なるままに書いていきます。

ときめき百名城巡り~お腹いっぱいになった大阪城

2024年02月20日 | 城郭検定資格とその活用

 関西出張の帰りは、まず大阪城。ここのところ、関西への出張が二回、検定受験が一度、とにかく関西が多い、そして、その前後の観光も多い(笑)、来月も出張があるから、また何か考えないと。

 大阪城は、立派な百名城である。この大阪城は子供の頃から何度か登っている、ただし、百名城巡りの時は、私が仕事で配偶者にスタンプを押してもらった。従って百名城巡りの対象としての大阪城はまだ知らない。

 ということで、じっくりと登城する。JR大阪駅から乗り換えて地下鉄谷町線に乗るのだが、大阪の地下はとにかくわからない、迷うのだ。何とか谷町四丁目で降りて、大阪城へ。

 パンフレットによると、この大阪城、重要文化財は塀も含めて13個もある。全部見ようと意気込む。

 まずは、六番櫓。堀はとにかくデカイ。石垣の屛風折れも見事だ。

 大手門手前の千貫櫓。大阪城を巡る戦いの時、この櫓から武器が飛んできて攻略できない、この櫓、千貫出しても買いたい、ことから名がついたとか。

 そして大手門、これも飛びきりデカイ。隣の多門櫓とその北方塀、大手門の北方塀、南方塀も重要文化財だが、蛸石に気を取られて、撮り忘れた。

 大手門を過ぎて、蛸石、瀬戸内海から運んだそうだ、これも飛び切りデカイ。

 石山本願寺の推定地。大阪城の前は石山本願寺だったか。

 そして桜門を抜けて、いよいよ見えて来た天守閣。この天守は不思議な天守だ。まず、秀吉の代に作った大阪城、大坂夏の陣で燃えてしまった。その隣に徳川が一回り大きな天守を作った。それも間もなく燃えてしまい、明治維新を迎える。昭和の一桁で地元から望む声があり、徳川の城の位置とその大きさで、鉄筋コンクリート製のお城、ただしデザインは秀吉の城を作った。従って、今見ている城は、実在しなかった城になる。

 

 そしてこの建物は登録有形文化財になってる。戦国時代のものではなく、昭和一桁の文化財としての価値だ。

 天守に登るには15分待ちとあるので先に周りを巡る。天守の奥に隠し曲輪。

 そして山里丸に行って、石の刻印集。

 天守の後ろには、山里丸。秀吉の時代、山里の風情を保つ松林や茶室があった場所だ。

 山里丸から天守の眺め。秀頼や淀殿もこれ、見たのだろうか。(いや天守は徳川の時代のもの、ちょっと変わってるな)

 そして見たかった、秀頼と淀君ら自刃の地。

 反対側の入口、極楽橋。

 戻って、天守に登る。5階まではエレベーター、その上は歩いて登る。8階もあるのか。まず天守から。小さく乾櫓と焔煙櫓が見える。

 8階から順次下に降りる。大坂の陣の陣形だ。

 降りて、井戸も重要文化財だ。

 石垣に使われなかった残念石。

 天守のそばで目立たないが、金蔵、飲み屋の名前のようだ。

 秀吉時代の石垣を公開するプロジェクト、秀吉って人気あるんだねえ・・

 一通り見終わって、森ノ宮駅方面へ。石垣が扇の形だ。

 一番櫓と天守が見える。

 天守が平日なのに混んでいて(中国の方が多かった、春節か)全部見終わるまでに2時間近くかかった。たっぷり時間を取ってあったのがよかった大阪城の登城でした。お腹いっぱいです。

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