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山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

屋根貸し太陽光発電について(2)

2012-05-01 | 省エネ

 住宅用太陽光発電は従来通り余剰電力の買取(「住宅用太陽光発電の全量買取ならず!! 」)ということになりましたが、屋根貸しの場合には全量買取をすることになったとのことです。これで屋根貸制度の普及が現実のものになるものと思われます。

 一方で、この夏頃に屋根貸し制度を新設するとの報道(「屋根貸し太陽光発電について」)があった後の情報が余りにも乏しいような気がします。すでに屋根貸しの業者が営業活動している現在、早急な法整備が行われる必要があるように思います。

<参考> 「せめて住宅用太陽光発電買取価格の増額を!」 「この夏の電力需給見通しについて思うこと


節電器(2)

2012-04-30 | 省エネ

 さすがに「節電器」を販売しているところはなくなったものと思っておりましたが、未だに販売しているところを見つけました。Webサイトをみてみますと、家庭用の小型のものから工場向けの大型のものまであるようです。そして納入先には、例の如く官公署や大手メーカーのオンパレードです。そして注目すべきは、太陽光発電とセットで販売されていることでしょうか。

 そもそも高圧受電している需要家に節電器が導入される意味が分かりません。もしどうしても電圧を下げたいのであれば、変圧器のタップを変更すれば事足ります。電気主任技術者は何をしていたのでしょうか。このような業者のホームページに納入先として掲載された会社(会社側の許諾を得ているのかどうかは不明ですが)こそ哀れというべきか?

 今回は、たまたま見つけたのですが、まだ他にも存在するでしょう。これらの業者が悪徳業者でないことを祈ります。

<参考> 「節電器について」 「悪徳省エネ業者


住宅用太陽光発電の全量買取ならず!!

2012-04-12 | 省エネ

 経済産業省が住宅用太陽光発電の全量買取を見送り、従来通り余剰電力の買取とすることを決定したとのことです。

 「住宅用太陽光発電の全量買取をせずして普及するか?」で指摘しておりますように、全量買取とすることで普及が図れると大いなる期待を持っておりましたので、誠に残念に思います。全量買取とすると余剰電力からの上乗せ額が200~300億円となると試算され、これが電気料金アップに繋がることが理由に挙げられているとのことです。

 日本全体で、たったの200~300億円の上乗せで、太陽光発電が大いに普及するのであれば、優先的に実施すべきことであると考えます。これ位の金額は、他の無駄を削減すれば容易に捻出できるでしょうし、必要ならば補助金を入れても良いではないですか。(確か設置のための補助金もこれ位の予算だったと思います。)

 返す返すも残念な決定がなされてしまったと思います。

<参考> 「住宅用太陽光発電の買取方法について」-資源エネルギー庁

 この資料を読むと結論ありきで、出来ない理由が挙げてあります。これらに一々反論するのも疲れますので、ここではやめておきますが。せっかくの優秀な能力が活かされていないのは誠に残念です。    

 


省エネ・節電悪徳商法に関する出前セミナー

2012-03-30 | 省エネ

 電気料金が大幅値上げされようとしているなか節電にまつわるトラブルが急増しているとのことです。悪徳商法の被害者とならないためには、その実態を知り未然に防止することが肝要です。

 悪徳業者等々については、当事務所のWebサイトやブログで情報を提供してきておりますが、なかなか伝わりにくいところがあるように思います。そこで直接お伝えするのがベストであると思い、今までは限られたところでしか行っていなかったセミナーを積極的に行おうと思います。

 少人数でも構いません。セミナーの出前講師をお引き受けいたします。勿論、講師料は無料で結構です。また、テーマは私の専門分野(省エネ・節電・コストダウン・補助金)であれば、ご要望に応じますので、お気軽にお声がけください。

<参考> 「省エネ・節電トラブル急増中


私の新エネルギーへの取り組み

2012-01-02 | 省エネ

 今まではエネルギー消費を減らすことに重点を置いて業務を行って参りました。それは化石燃料等の資源枯渇を先送りすることに貢献できると考えたからにほかなりません。しかしながら今般の電力不足を考えると、エネルギーを作り出すことの重要性も認識せざるを得ません。電力を作るのは電力会社に任せておけば良い。それは大規模・集約化した方が効率的であろうと考えておりました。少なくとも化石燃料の場合には、現在でもその方が合理的であるでしょう。しかし、原発問題でも明らかなように集中化は避けなければならないものと考えます。多様な供給源があった方が足腰が強くなることは疑う余地はないものと思われます。

 そこで、私が取組みたいと考えているのは、マイクロ水力発電とバイオマスです。マイクロ水力発電は、省エネに取組むようになった原点でもあります。水力発電所の設置に関しては、河川法や水利権などに絡む多くの規制が存在します。これらの規制緩和が求められるでしょう。そしてまた行政書士としての業務としても、これら諸問題に専門性を活かして取組む意義があると思っております。また、身近なことで言えば、農業用水路の維持管理問題は、近い将来切実な問題になるであろうと推測されます。農業用水路に水力発電設備を設置し売電すれば、水路の維持管理費用の一部でも捻出可能かと考えます。

 更に、バイオマスに関しては、直接には発電が考えられますが、廃熱の利用が困難なことが多いと思われますので、エネルギー効率の向上が望めません。そこで木質ペレットにしたものを直接燃料とする方が、電力に変換するよりエネルギー効率を高くすることが可能です。化石燃料を消費する代わりに木質ペレットを燃すようにします。このためには、ボイラーやストーブなどの設備更新が必要となりますが、これは補助金が活用できます。

 木質ペレットの活用に関しては、林業の再生や地場産業の振興にも寄与します。また、コンパネなどの建築廃材を木質ペレット化する技術も確立しているようです。これなども産業廃棄物の再利用を促進することにつながります。

 水力発電もバイオマスも何も新しい技術ではありません。むしろ、薪ストーブなど古くからあるものです。非効率、不便などの理由で廃れていったものです。しかしながら、大規模化・集約化・効率化などなどの経済合理主義の成れの果てが現在の状況を作ったのかも知れません。私は経済合理主義を全て否定するものではありませんが、経済合理主義一色に染まってしまうのには疑問を呈します。そういった意味で従来技術を現代的視点から見直すことも重要なことではなかろうかと考えているところです。

 それに太陽光発電や風力発電は、経済合理主義の延長線上にあります。それこそ皆さんが挙って参入されていることでしょうから、へそ曲がりの私の預かり知らないところです。私は身の回りのことから発想し、こそこそと地道に努力をしていきたいと考えております。

<参考> 「農業用水路はいつまで維持できるか?」 「農業用水路の維持」  


クリスマスイルミネーションと節電要請

2011-12-02 | 省エネ

 師走に入り、クリスマスイルミネーションがちらほらと目に入るようになりました。政府からの節電要請があるせいか、例年の賑わいがないように思います。自粛されている家庭もあるのではないでしょうか。

 クリスマスイルミネーションについては、賛否両論あるでしょうが、過度の自粛は如何なものでしょうか。年がら年中やっている訳ではありませんし、世の中パット明るくしたいとか、それぞれの思い入れがあってのことでしょう。それを他人がとやかく言う筋合いのものではないと思います。

 確かに電気を相当程度消費することは否定できませんが、LED照明にするとか色々と工夫をされているようですし、「計画停電解消に向けての提言」で書いておりますように、ピーク電力が問題ですので、のべつまくなし省エネ(節電)する必要はありません。大停電発生を防止するために必要な時には、皆さんご協力いただけるでしょうから、目くじらを立てすぎる必要はないのではないでしょうか。

 色々と多難な年であったのですから、せめても年末くらいは明るく過ごしたいものです。クリスマスイルミネーションくらいは大目にみようではありませんか。でなければ、ギスギスした世知辛い世の中になってしまうような気がします。

 


省エネ屋のつぶやき(11)-提案書編

2011-11-07 | 省エネ
 省エネに関する提案書に関して「省エネ提案書の不思議」で述べておりますが、今回は若干補足したいと思います。

 提案書によく表れる現象に「償却期間3年の法則」と「もう一声の法則」というのがあります。もっともこれらの名称は、私が勝手に名付けたものです。前者は先に紹介したページに書いておりますので繰り返しません。「もう一声の法則」というのは、いわゆる純利益額(メリット月額-リース月額)で良く見られます。例えば、計算結果の純利益額(月額)が9,800円だったとしますと、ほとんどの場合10,000円を超えた金額に書き換えられてしまうであろうという法則です。これは金額の多少によりません。ほぼ確実に一桁アップしていることでしょう。どのような操作をするかは、償却期間の計算と全く同じです。そしてこの2つの法則を同時に実現したところが提案書の落としどころといったことになります。

 「償却期間3年の法則」では書かなかったことですが、通常は償却期間が短縮する方向に働く法則のように思われるでしょうが、実は償却期間を引き延ばす方向に働くこともあります。例えば、計算結果の償却期間が1.5年であったとするとこの期間が引き延ばされて3年に近い期間になることとなります。安全率を考慮して、メリット額を減らす方向に働けば、それなりの合理性がある訳ですが、メリット額の変更を抑えて導入費用の増大の方向に働くことが一般的です。即ち、業者の利益が増加します。

 ある程度の値引代を確保しておきたいということであるなら未だしも「どこまで儲ければ気が済むのかい?」と言いたくなることもあります。一度ある代理店にそのことを指摘したことがあるのですが、「何時も儲かる訳ではない。損する時だってあるから、儲かるところで稼いでおかなければならないのだ。」との返答でした。その時は、こちらも売ってもらっている手前、これ以上の追求はしませんでしたが、釈然としない気持だけが残っておりました。

 このように提案書を作成する際には様々な要因が働いており、その結果として出来上がっているということを知っていただきたいと思います。そのような目で提案書を眺めてみると、また違った地平が見えてくるかも知れません。

 「省エネ屋のつぶやき(10)-省エネ・節電ビジネス新規参入編」へ戻る

省エネ屋のつぶやき(10)-省エネ・節電ビジネス新規参入編

2011-11-01 | 省エネ
 現在あるいは今後、省エネや節電ビジネスに新規参入しようとする方々がますます増加するのではないかと思っております。それは原発事故後に省エネ・節電に対する機運が盛り上がっており、これに乗じて省エネ・節電ビジネスに新規参入してみたいと考えるのも、この不況の中無理からぬことと思います。

 しかしながら、素人がおいそれと参入できる業界でないことは、縷々書いてきた通りです。予備知識なしに参入しようものならば、たちまち悪徳業者の餌食となってしまうことでしょう。悪徳業者の犠牲者は、なにも一般ユーザーだけではありません。新規参入者も犠牲となることも往々にしてあります。更に性質が悪いのは、悪の拡大再生産に手を貸してしまうことになることです。

 新規参入のスタンスとして、メーカーとして新たな製品を開発して販売するということならば、その製品がチャント機能するものであれば特段問題はありません。但し、売り方によったら悪徳の道に入り込む可能性はありますが・・・。

 新規参入するに当たって、一般的には販売を手がけようとするのではないでしょうか。例えば、代理店募集などに応募するとかするのでしょう。この場合、商材が何であるかが決定的に重要になります。とかくトラブルの多い商材には、絶対に手を出してはいけません。悪徳の道一直線になってしまいます。

 多額の保証金を積まされたり、一定数量以上の商品の引取りを要求されることもあります。これも余程のことがない限り、止めておいた方が無難です。これだけが目的であったりする業者もいます。入金を確認したらドロンなどといったこともあります。そうでない場合でも、そう簡単に売れるものではありません。大枚叩いて仕入れた商品です。在庫の山ではたちまち資金繰りに窮します。最初は真っ当に営業しようと思っていたにしても背に腹は変えられません。これまた悪徳の道に入り込む原因です。

 このように悪徳の道に入るきっかけは様々です。自分は真摯に取組んでいるつもりでも、知らず知らずの内に悪徳に手を貸していることがあります。これが一番始末におえません。信じきっているがゆえに被害もまた大きなものになってしまいます。

 悪徳の道に迷い込まないようにするには、事前に業界のことに詳しい第三者に相談することしかありません。悪徳の道に踏み込んでからの後戻りは、限りなく不可能に近いものになってしまいます。

 今後も折りに触れて警鐘を鳴らし続けて行きたいと思っております。

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省エネ屋のつぶやき(9)-行政書士編

2011-10-29 | 省エネ
 行政書士の仕事として悪徳商法による被害者救済の方向もありかとは思います。しかしながらこれらの業務は弁護士や司法書士さんなどと連携して、最終的には法的手段に訴えない限り解決できないことの方が多くなります。それはそれなりに大切なことだと思いますが、私がやるよりも他に適任者が大勢いらっしゃるように思います。

 そこで被害を未然に防ぐにはと考えると、悪徳業者の実態や手口などの情報を公表することにより事前に知識を持ってもらうことと悪徳業者そのものを減らすことではないかと思い当たりました。

 そこで事務所のWebサイトや本ブログなどで取り上げてきました。また省エネコンサルタントの業務として「省エネビジネス新規参入相談」業務を始めたのもそうした理由からでした。既に悪徳業者となってしまった方々を指導するのは並大抵のことではできませんから、今から省エネビジネスを始めようと検討されている方々に対して、悪徳の道へ迷い込まないようにアドバイスすることの大切さを痛感したからです。

 私がこの道に入った経緯をくどくどと書いてきたのも、一歩間違えば悪徳の道に入りかねなかったことや知らず知らずの内に悪徳に力を貸してしまっているかも知れないことを理解していただける一助になろうかと思ったからに他なりません。ここで書いてきたことは、ほんの一部にしか過ぎません。とても公表できないようなこともありますが、業界の凡そのことはご理解いただけたのではないかと思います。 

 何時も書きますが、全ての業者が悪徳いうことではありません。真っ当に営業されている業者さんも大勢いらっしゃいます。このようなことを一々但し書きしなくて済む世の中が到来することを望みます。

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省エネ屋のつぶやき(8)-急転直下編

2011-10-28 | 省エネ
 予期していた事ながら、五月初旬その日が訪れました。A専務が他界されたのです。亡くなる三週間くらい前から入院しており、私は2~3日に一回くらい業務報告を兼ねて病室を訪ねておりました。

 業務報告を苦しそうに聞きながらも適切な指示を与えたりするなど仕事が生きがいと思われるような生き様でした。受注が何よりの薬と喜んでくれる姿が今でもありありと思い浮かびます。以前のA専務とは人が違ったような印象を受けたのは、きっと私だけではなかったと思います。死期を悟った人間というのは、かくあるものかと感じさせられるものがありました。

 人の命ははかないものと同様に会社の命もはかないものです。A専務が亡くなって、一月もしない内に経営状態が怪しくなり、あえなくG社に出資していたK社に経営を委ねることとなってしまいました。

 私ともう一人はK社に移籍できましたが、その他は退職を余儀なくされました。A専務でもっていたような会社でしたから致し方ないと言えばそれまでですが、G社に勤めて半年あまりの私にとっては、実にあっけない最後であったと言わざるを得ません。どうも持って生まれた運というべきものなのでしょうか、うまくいきそうになると必ずや奈落の底に突き落とされてしまうようです。

 しかし、そこでメゲナイのも私の真骨頂でしょう。少なくもノー天気な性格が幸いしているようです。

 ここでK社のことに触れておきます。K社のI社長とA専務は昔からの知り合いで(同業)、A専務はS社を退職した後、K社の代理店として省エネシステムの営業していたようです。その関係で、G社を立ち上げるに際してK社から出資を仰いだようです。この辺の事情は伝聞ですので正確を欠くと思います。何せG社に就職する以前のことですからいたしかたありません。

 K社は元々デマンドコントロールシステムを設計・施工している会社です。ここ数年で急成長しており、ESCO事業に進出したりと私が移籍した頃は、まるで日の出の勢いといった感がありました。ある意味では、半年間で失業の憂き目にあうところを救われた訳ですから、感謝すべきところでしょう。

 しかし、正直悩みました。以前書いた社長面接寸前までいっていた会社に、断りの連絡を入れたとき採用担当の常務から「就職される会社に問題があったら是非当社にきてください。」と言っていただいていたことです。勿論、社交辞令とは思いますが、妙に将来を暗示していたようで気にかかって仕方ありませんでした。

 ただ、G社在職中にお世話になった方々や信頼して導入いただいたお客様に対して申し訳がない。K社に移籍すれば、このまま営業やサポートができる。このまま放り投げたら、ヤッパリ「省エネ屋」だと人のそしりを免れないと色々と考えた結果の移籍でした。人からみれば、お前らうまくやったなとしかみられていないと思いますが、言い訳に聞こえるかも知れませんが当時の心境を綴っておくことにしておきます。

 社長のI氏は、バイタリティーあふれる若き経営者で、100%理論(このシステムは100%売れる。なぜならば必要とされているから。)が持論でした。営業担当者からすれば、この理論を持ち出されると何も言えなくなってしまうのでした。

 K社へ移籍して2年間ほど勤務しましたが、家庭の事情で退職致しました。K社在職中も色々ありましたが、これは未だ会社が現存することでもありますので、何れ改めて書くことにさせていただきたいと思っております。

 その後、「省エネ業界」から身を引いて、全く別の展開を色々と模索はしたものの、結局はまた舞い戻ってしまいました。しかし、今度は業界から一定の距離を置き、業界の健全な発展のため力を尽くせればと考えております。そういった意味でも行政書士という立場を活かしていけるのではないかと考えております。


 「省エネ屋のつぶやき(9)-行政書士編

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省エネ屋のつぶやき(7)-高圧編

2011-10-26 | 省エネ
 当時のG社の主な業務は、高圧化ビジネスでありました。低圧受電している需要家に高圧受電設備を導入することにより電気料金の削減を提案するといったものです。小規模の店舗などの場合には、家庭用と同じ従量電灯(単相3線式)と低圧動力(三相3線式)で給電されます。電灯と動力を合算して50kW以上の場合には、自前の受電設備を設置し高圧(6.6kV)で受電するようになっております。

 低圧受電の場合には、電力会社が変圧器によって高圧から低圧にしてから各需要家に供給しますが、高圧受電の場合には高電圧のまま受電し、先述の自前の受電設備により低圧にして使用することとなります。自前の受電設備を設置し保安点検(電気主任技術者による)が義務付けられます。当然、設置費用や保安点検費用(通常は委託)が発生しますが、それでも高圧化した方が電気料金が安くなる場合があるのです。

 それは電気料金の仕組みにあります。ここでは、電気料金の仕組みを述べることが目的ではありませんので、かいつまんでいえば、「家庭用や小規模需要家などの低圧電力の料金体系は基本料金単価は安いが、使用量単価が高い」。逆に、「高圧の料金体系は、基本料金単価は高いが、使用量単価が安い。」といったことになるのでしょうか。

 この料金体系を活用して、低圧から高圧に切替えることによる電気料金の差額から設備費や保安点検料を賄おうとするものです。通常、設備費用(工事費用を含む)は一括して発生するものですが、リース/レンタル/割賦などにして月払いにすれば、

 月々の電気料金の削減額-(設備費用の月額支払分+保安点検料の月額支払分)>0(純利益)

の場合が出てきます。(もちろん逆になってしまうケースもあります。この場合には、契約種別を見直すなど別の方法を採るかそのままがベストということになります。) つまり、従来ならば電力会社へ支払っている金額の中から導入費用や保安点検料を賄ってもお釣りがきてしまうのです。

 但し、これは省エネでも何でもありません。導入の前後で同じように電気を使っても、単に電気料金が安くなるというに過ぎません。コンビニなどの需要家がこぞって導入しているのもそのため(コストダウン)です。私は、コストダウンが悪いといっているのではありません。むしろコストダウンは必要なことと思ってます。できれば、省エネすることでコストダウンができることが望ましいと考えているだけです。というのは、省エネを伴わないコストダウンは「増エネ」になることがあるからです。高圧化の例でいえば、受電設備の製造、運搬、工事に要するエネルギーや保安点検(自動車で移動するケースが多い)に要するエネルギーなどが新たに発生することは明らかです。厳密には高圧化による減少分の検討も必要でしょうが?

 高圧化のビジネスは、たいして儲かるものではありません。電気料金の差額がべらぼうに大きければ利益も大きく取れるのですが、残念ながらさほどのものでもありません。その点、電力会社も良心的(?)といえるのかも知れません。そこでまた悪徳業者のつけ込むことになってしまいます。設備費用を切り詰めるのには限度がありますので、電気料金の差額を調整すれば見かけの純利益を大きくみせることができます。契約種別やそれに基づく料金単価を誤魔化すことはできませんが、契約電力を誤魔化すことは可能です。低圧電力の場合には、ほとんどの需要家が負荷設備契約となっており、実際の電力需要とは関係なく契約電力が決まっております。高圧化すれば、デマンド計による実量制となりますので、最大需要電力によって契約電力が定まることとなります。

 システムの提案時に過去の使用電力量の実績や負荷設備によって、高圧化後の契約電力を予想するしかありません。設計者にとっては、ここが腕の見せ所となる訳です。如何に予想契約電力と導入後の契約電力を一致させられるかです。契約電力を小さく評価すると純利益を大きくすることができますが、導入後に実際の電気料金の差額が提案書より小さくなってしまいます。逆に、契約電力を大きめに予想すると純利益が小さく評価され受注が取りにくくなりますが、導入後に実際の電気料金の差額が提案書より大きくなります。

 この辺の微妙な匙加減によって受注確率が異なってくることも事実です。これは一概に省エネ業者だけが悪いとは言えないことかも知れませんが、ある意味故意にやっている業者は大問題です。良心的な業者ならば、受注確率が少々減少することを承知の上、安全をみて契約電力の予測をある程度高めに設定して提案しているはずです。特に、削減金額を保証するとしている業者ならば尚更でしょう。

 私がG社に初出勤したのは、クリスマスイブの前日からでした。本当は切り良く年始からと思っていたのですが、どうしても早く出て来いということでしたので、とりあえずということでその日から出社しました。出社してみたものの机は宛がわれたもののパソコンも無く、適当に資料を読んでいるくらいしかすることがありませんでした。翌日のクリスマスイブは、どういう訳か知りませんがケーキが余ったとの事で、クリスマスケーキを2個もらって帰ったことが妙に印象に残っております。

 初仕事は、いきなり受電設備の変圧器(アモルファストランスへ)の入れ替え工事の立会いということに相成りました。まぁ、観ておくだけで良いから(電気工事士の免状を持っているといってもペーパーみたいなものですから、早めに現場体験をさせようとの親心であったものとみえます。)ということでしたので、現場へ出かけたのであります。

 忘れもしない12月30日の雪がちらつくような寒い日でした。とある工場に夕刻より出向きました。数日前から工務の担当者、保安協会、電気工事屋を含めて入念に打合せをし、万全の準備をしていたつもりでした。工事の際には、工場全体を停電させる必要があります。工事用電源とコンピュータ室のため発電機を準備していたのですが、何とその発電機が起動しないではありませんか。いきなりピンチです。ただ観てるだけのはずが、いきなり判断を迫られたのでした。レンタル会社にメンテナンスか代替機を大至急依頼すると共に工事の段取り変更を各担当者と打ち合わせに入りました。

 停電時間は、20:00~0:00までと予め決められており、これを遅れると明日の出荷ができなくなるとのキツイお達しです。最悪、工事中止の決断をせざるを得ません。「入社数日の私にそんな権限無いよー!」と思ってはみたものの会社の誰とも連絡が取れない以上「腹をくくるしかないか?」と悩んでおりました。最終判断は、20:00の状況をみてからということで、それまでは停電以外でできることを先行作業することとしました。より安全作業に徹するよう注意したことは言うまでもないことです。

 幸いメンテナンス担当者が駆けつけてきてくれ、19時半過ぎには発電機を起動することができました。これで何とか工事中止は免れたが「後は時間との勝負だ!」やるしかないと悲壮感を漂わせておりました。

 そんな状況の時、やっとA専務のご登場です。「今時、のんきに差し入れなんかを持ってきてる場合じゃ無いでしょう!」と難詰しつつも有難く差し入れだけは頂戴いたしました。その後の工事は各プロの能力をいかんなく発揮し順調に行くかに思われました。クレーン屋、重量屋の見事な動きや保安協会のチームワークなど感心しながら作業に見惚れておりました。この分だと余裕で終わるなと思った程でした。さずがはプロだなーと思いきや、肝心の電気屋がとんでもない連中でした。

 素人目にみても段取りが悪い。道具が無い、材料が無いとその都度取りに行ったり、買いに走る。手持ち無沙汰な作業者がいるなど言い立てればきりが無いくらいでした。

 結局、復電時間が1時間のオーバー、作業全体としても2時間のオーバーとなってしまいました。初仕事がこの始末です。前途多難を暗示しているかのようでした。

 年明けからは、高圧化の営業活動が活発化しました。大手商社と提携してコンビニチェーン店に売込みを図っておりました。当時A専務は、その業務の陣頭指揮をとっておりました。その下で、私が商品説明会や営業訪問、受注後の各種手続き、工事立会いなどの実務を担当しておりました。

 2月には初受注、その後も順調に受注を続けることができ、工事実績もでき「さぁ、これから」という時、またもやドラマが・・・。


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省エネ屋のつぶやき(6)-浪人編

2011-10-25 | 省エネ
 会社を辞めてはみたものの、これといってやりたいことはなし。振り返ってみれば、ソフト屋から出発し、行政書士、ハード屋、新製品の企画・開発、営業、そして浪人と色々なことを経験はしたものの、さて何をしようかと思ったときに陥ってしまったブラックホールみたいなものでしょうか。歳も46を過ぎて、果たして一体何ができるのだろうか?

 開発畑を歩んできた身として、やはり開発の道を歩もうと思ってはみたものの、アイデアはあっても先立つものが無い!

自信を持って申請したベンチャー企業向け補助金は、見事に書類審査で門前払い!

 再び行政書士として一から出直すかとも思いもしましたが、田舎で喰っていけると確信を持てません。 あれこれ考えた挙句、やはり開発者の道を歩もうと思い、ハローワークに求職の登録をしたり、色々な伝を頼って職探しをしたもののなかなか見つかるものではありません。私の場合は、高年齢でもありなかなか再就職が難しいと思われていたこともあり、優先的に企業を紹介していただき、その甲斐もあって、一次面接をクリアし、後は社長面接を控えるのみとなっておりました。採用されれば、平穏な開発者人生が待っているはずでした。 ここでもまた、大ドンデン返しに遭遇してしまいます。ここで登場するのが、あのS社のA専務です。 実は、A専務は色々な事情からS社を解雇されており、それ以来お互い連絡も取り合わない関係になってしまっておりました。そのA氏から突然電話があり「明日会ってくれへんか?」とのお誘いでした。また、ろくでもない話をと思いつつも、とりあえず会うだけはということになりました。

 久々に会ったA氏は、G社の名刺を差し出したのです。肩書きは取締役専務(どうも専務という役職が好きみたい!)とあり、社長はお飾りで実質的な経営者だと自称しておりました。

 会うなり「ワシ、肺癌なんや。手術もできん。もう長ごうは無いかも知れへんが、今ごっつう面白い仕事をしとるんや。 山浦君には色々迷惑かけた。信用してくれへんかも知れんけど、手伝ってくれへんか?」と切り出してきました。

 私は近々、社長面接を控えており、開発の仕事なので、採用されればそちらの方に行こうと思っていることや省エネの仕事はあまりやりたくない旨を伝えて一旦は断りました。しかし、「そこを何とか頼む。」と自分の病気のことを忘れてしまったかのように、ひたすら仕事の内容やら将来性を熱っぽく語るA専務の姿に少々気持ちが傾きかけました。

 このようにして「また騙されてしまうのかなー?」と漠然と思いがよぎりました。ただ、明日の命をも知れない人が、人を騙してまで何をする必要があるのかとの思いもあり、万一騙されたとしても面白そうな仕事ができるのであれば悔いは無いか!

 と私の気持ちはほぼ固まっていたのですが、「明日、返事をします」と即答を避けました。どうも私には、平穏な人生をおくることができないようになっているようです。 かくしてG社に就職し、またもや省エネ業界に関わることとなった次第であります。

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省エネ屋のつぶやき(5)-出向編

2011-10-24 | 省エネ
 その後は、徐々に省エネ部門の売上も伸びつつあり、これからというときに、いきなり配転されることになってしまいました。

 それまでは、一応技術部に所属しつつも開発と技術営業の二足の草鞋を履いておりました。これからは100%営業といったことになった訳です。それも会社の主力商品である生産管理システムの販売も担当することになってしまいました。省エネで手一杯になのに他の製品まで手が廻るはずもないのは目に見えているのに。

 その背景には会社の業績不振がありました。折りしも不況の真っ最中、工場は安いコストを目指して海外へ続々と進出しており、市場は狭まる一方でした。これに対応するため営業部隊の増員を図ったのでした。集められたのは、技術や業務部門からの配転組、中途採用、新入社員と営業の素人ばかりで、営業とは名ばかりのにわか作りの部隊でありました。当然の如く新米営業マンの成績は低調を極めたことは言うを待たないことです。1年も経たない内に販社(子会社)への出向の話が持ち上がり、出向するか退職するかと言わんばかりの選択を迫られました。

 私は片道切符を承知の上で出向の道を選び、東京へ単身赴任しました。出向するに際して、販社の社長に省エネに特化した営業をさせてもらえることと営業のやり方を任せてくれることの条件を承諾してもらいました。この販社での生活は、結構充実していたと思います。ど素人の営業にもかわらず、そこそこの実績を残すことができました。

 しかし、1年も経たない内にこの販社も業績不振により、お取潰しの憂き目にあいました。出向組の内の数人は元の会社に戻りましたが、他は全員退職することになりました。

 この頃から、省エネが自分のライフワークであると自覚するようになり、ただ何とか省エネ製品は守りたいとの思いが強く、販社の社長が出資して省エネに特化したSF社を設立しました。しかし、またもや一大事が出来してしまいます。会社設立から半年程経過したときでしたか、元いた会社(省エネ機器の供給元)が倒産してしまったのであります。当時から危ないとの思いが強かったので、SF社で省エネ機器の版権そのものを買取ろうと努力はしていたのですが、どうしても手放してくれませんでした。仕方なく、供給契約を結んで直販や代理店のサポートを主業務としておりました。 丁度その日に代理店から受注の連絡が倒産の知らせと相前後してあり、大変な目に合ってしまいました。SF社としても存亡の危機に直面したのでありました。代理店に事情を説明し、工事予定を延期してもらうと共に情報の収集に努めました。メーカー在庫数量を確認し、破産管財人と買取交渉を進めました。しかし、製品の買取ができたとしても倒産会社の製品であることを承知で取扱ってくれるかどうか心配でなりませんでした。買取ってはみたものの売れないのでは、共倒れになってしまいます。長期に渡る交渉の末、何とか在庫品の買取には成功しました。代理店もSF社のことを信頼していただき、何とか導入させていただきました。

 しかし、在庫が無くなればジ・エンドです。何とか自社で製造する道を模索してみたものの、限りなく可能性が低いとの結論しか出ません。やむなく、在庫の終了をもって省エネ事業終息といった結末を迎えてしまったのであります。 省エネがライフワークとまで考えるようになっていた私ですが、導入先や代理店に多大なご迷惑をかけたわけですからキッパリと省エネ業界から身を引くことにし、SF社を退職致しました。

 「省エネ屋のつぶやき(6)-浪人編」へ続く

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省エネ屋のつぶやき(4)-絶対絶命編

2011-10-23 | 省エネ
 「マイクロデマンドコントローラー」の開発が我が人生最大の危機を迎えることになってしまいます。

 開発自体は順調に進み、私は、営業、工事、開発と忙しい毎日を送っておりました。順風満帆とはこういうときのことを言うのでしょう。しかし、運命の歯車は突如として狂い始めることになってしまいます。

 「マイクロデマンドコントローラー」が完成し、当然の如く納品しようとすると「うちの事務所狭いし置くとこ無いからしばらく預かっといて」とのこと、仕方ないので「うちの決算までには引き取ってくださいね」と念を押し、納品書・請求書を発行しました。後は入金を待つのみという段階になりました。それまで、S社との取引は期間は短いとはいえ何の問題も無かったので全く心配はしてませんでした。入金予定日を過ぎても入金が無いので、経理から問合せがあるし、果ては社長からお叱りを受ける羽目になってしまいました。

 A専務に連絡を入れても音信不通、事務所にもここ数日顔を出していないとのこと。不覚にもS社のM社長には面識が無く、八方塞がりの状況に追い込まれてしまいました。会社に出ても針の筵に座らされているようで、部屋中に重苦しい雰囲気が漂っておりました。かといって、これといった打開策があるわけも無く、ひたすらどうしようか思い悩むだけでした。

 ただ色々と調べていくと、注文書をA専務が独断で発行していたということがわかってきました。注文書の印鑑も通常取引の注文書と同一の印鑑が押印してあるので、法律的には問題は無いだろうとのことでした。ただ、後はM社長が払ってくれるかだけの問題です。払ってくれなければ、裁判するしかないと腹をくくっていました。

 そんな時、たまたまS社に挨拶に来ておられたY社(S社への納入メーカー)のS部長が、この話を聞かれて「同じメーカーとして他人ごとではない。」と私のところに来られ「M社長に話しておくから心配しないように。」と言葉をかけていただきました。S部長とは以前から面識はあったのですが、自分との利害関係が無いにも関わらず、お骨折りいただいたことに今だに感謝いたしております。

 S部長と面談した翌日は土曜日で、気分転換に当時趣味で楽しんでいたパラグライダーに出かけました。何時もと同じようにフライトを楽しんでいたのですが、ランディングに失敗して左足首を粉砕骨折してしまいました。ついていないときは何をやっても駄目なもんです。例の件が頭にチラツキ、集中力を欠いていたのでしょう。もっと重大事故になっていてた可能性もありますから、これ位で済んだのだから不幸中の幸いといえるのかも知れません。

 フライト仲間から救助してもらい、氷などで患部を冷やしつつエリア(阿蘇)から車で地元の病院まで1時間半位かけて自力で向かいました。レントゲン検査の結果が先述の診断です。早く治るということで手術することに決め、翌週の火曜日から入院することにしました。月曜日に出社して侘びを入れるしかない。焦付きの件もあるし、半ば首を覚悟しました。

 余談ですが、翌日曜日は、夫婦で出場予定だったマラソン大会の日でした。私の方は、手術前の仮固定状態で、痛み止めを服用している状態ですから当然のこととして、一人で行ってくれるものと信じていました。ところが平然として「私、高速運転できないから運転してくんない!」ときたものです。さすがの私も耳を疑ってしまいました。毎年出場している大会だし、走った後の新鮮な魚介類の市場や温泉を楽しみにしているのは分りますよ、そりゃ。でも夫が瀕死とは言わないまでも重傷を負って苦しんでいるのに、そりゃないでしょう!

 「トイレはどうするの?」と弱々しく抵抗したのが大失敗でした。「今から簡易の尿瓶みたいの買ってくるから」と、全くの藪蛇でした。何も言わずに拒否しておけば良かったと悔やまれるのでした。敵もさる者、私の操縦法を研究し尽くしているものと感心するほかありませんでした。

 同様に年明けのマラソン大会のアッシー君も務めることになってしまいました。今度は片道4時間の強行軍です。その頃は、手術して二週間以上経過していましたから、連れ合いが走っている間は、ゆったりと温泉につかってリハビリに勤しむことができました。「今まで忙しかった分のご褒美だ!」と思えるくらいに精神的にも回復していたのでしょう。

 そうこうしている内に段々と退院の日が迫ってきます。仕事に復帰したら即刻、例の問題を解決しなければなりません。憂鬱な日が続きます。出社して、挨拶もそこそこにS社のM社長に翌日のアポを取付けました。証拠書類などの資料を準備し翌日の面談に備えます。翌日は、当社の社長と共にS社に乗り込みました。初対面の挨拶もそこそこに、証拠書類を示しながら説明し、支払の件をお願いしました。

 M社長は「当社の社員の不始末から発生したことであり、こちらこそ申し訳なかった」と言っていただけました。もちろん支払の承諾もいただけました。

 S部長の口添えもあって、すんなりと問題が解決して本当にホットしました。あの時、ケガをせずに勢い込んでS社に乗込んでいたらスムーズに解決していたかどうかわかりません。人生って本当に不思議なものです。

 後日、湯布院にあるM社長の別荘に呼ばれ、今まで食べたこともないような極上の牛肉をご馳走になり、温泉に浸かりながら「A専務も悪気があってやったことではない。君のところの製品に惚れて、良かれと思ってやったことだ。今後もA専務を助けてやってくれ」と業務提携の強化を約束していただきました。 災い転じて福と為すの典型でしょう! このA専務とは、更なる劇的なドラマ展開が待ってます。それは、随分と後のことです。その前には小さなドラマが展開して行きます。

 昔は、こんなことして楽しんでました。

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省エネ屋のつぶやき(3)-代理店開拓編

2011-10-22 | 省エネ
 いきなり業界の荒波の中に放り出された私は、為す術を知らず、ただただ無為の日々を送っておりました。資料請求先へ営業に行ったり、代理店募集広告の原稿を作成したりといったことをこなしていたに過ぎませんでした。

 そうしたある日突然、S社のA氏(専務)から電話がかかってきました。どこから聞き出したのか「新製品の説明をしに来い。丁度今日の3時過ぎが空いているから今すぐ出れば間に合うだろう」と強引に関西弁でねじ込まれました。否とも言えず、渋々指定のマンションの一室へ出かけたのでした。ドアをノックするなり「オゥ、入らんかい!」とドスの効いた声がそこら中に響き渡りました。恐る恐る中に入ると、そこには如何にもその筋みたいな顔つきの人物が現れ「ヨウ来たな。マァ、座らんかい!」とのたまうので、オズオズと名刺を差し出して初対面の挨拶を交わしたのでした。それがこの後、色々と関わりが出てくるA専務との運命的な出会いでした。

 「それで、おまえんとこの製品はどんなもんじゃい?」ということで、製品の特長をかいつまんで説明しました。「ホォー」とか何とか言って聞いてはいるが、このオッサン本当に解っているのか疑問に思いながらも説明を続けていると「一体いくらで売るつもりや?」、「そんなんで売れるか?」、「ワシらの儲けないやんか!」と散々の突っ込みが入ります。確かに、価格は高く、メリットは少なく、工事費も実績が無くいくら掛かるとは明確に言えずでは、売ろうにも売れない状況でした。そのことをズバリと指摘されて、そろそろ帰ろうかなと言うか帰りたいなと思っていると「この製品は面白い!」、「他に無いもん持っとる」、「売ったるから、仕切りをこれくらいにせいや!」といきなり価格交渉が始まりました。こちらとしては、S社がどんな会社かも知らないし、いきなり価格交渉されても困るので言を左右にしていると、痺れを切らしたのか「わかった明日、お前のところの社長に直談判に行く!」とのたまうので「それは、チョットー」としどろもどろに、しかも丁重にお断り申し上げ、その場を後にしたのでした。オー怖!省エネ業界恐るべし!

 その後一週間は平穏な日々が続きましたが、またぞろ例の関西弁で電話があり「今、XXホテルのロビーにいる。どうせ暇やろ、直ぐ出て来んかい!」とのご命令です。言われるがまま、しぶしぶホテルまで出かけたのです。ロビーでは、A専務とK部長が昼間から酒の臭いをプンプンさせながら私を待っていたのでした。「今まで韓国行っとった。K部長にお前のことを話したら、是非会いたい言うんで、呼んだんや。もういっぺん話しくれへん。」とのことで、再度説明に及んだ次第です。

 この時、A専務がとんでもないこと言い出したのです。「もっと安いデマコン作れへんか?、例えば10万円くらいで?」「台数をまとめていただければ可能性はあります。」「何台くらいや?」「最低100台くらいは、必要かと思います。」「ホナ、一千万くらいやな。わかったM社長に言うとくから、早速作ってや。」「チョット待ってください。当社としましては、正式に見積をして、注文書をいただかないことには・・・。」「わかった、わかった。」とトントン拍子に話は進み、新製品の開発は当社で行い、S社が初ロットのうち100台を引き取ることで正式見積を行い注文書をいただきました。 これが、マイクロデマンドコントローラー誕生の経緯です。この製品は、デマコンとしては国内最安値を達成し、爆発的(?)に売れた製品になっていったのです。とここまでは良かったのですが、後日この注文がとんでもない事態に発展してしまうのです。

 「マイクロデマンドコントローラ」は「エアコン省エネ王」の廉価バージョンとして開発したのですが、機能的には「エアコン省エネ王」の表示部が簡略化され、その部分をパソコンで行おうというもので、かえって使い勝手が良くなりました。

 それにしても「エアコン省エネ王」は、高かったと思います。資料が無いので記憶に頼りますが、定価で98万円ではなかったかと思います。それにエアコンの制御端末と工事費が掛かりますから、システムとしては結構な値段になってしまいます。 それでも、A専務はマイクロデマコンができるまで「つなぎで売ったるわ」とのことで営業活動をしてくれることになりました。1ヶ月程度後のことでしょうか、A専務から「決まったでー!」、「早速工事や」、「打ち合わせに出て来い」との電話がありました。さすがに私も受注第一号には、うれしさがこみ上げてきました。その後も月に1~2件のペースで受注が出てきました。これに触発されたのか、直販営業部隊も力が入り始めこれもボチボチと注文が取れるようになってきました。

 これで、「マイクロデマコン」が完成すれば「更に受注に拍車がかかることになるはず。」と誰もが予想していたと思います。


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