宮応かつゆきの日本改革ブログ

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「明治政府指導者が受け継いだ侵略思想」-吉岡吉典氏の著作より

2019年09月17日 | 日韓関係

 「しんぶん赤旗」8日付、「植民地支配ー歴史と実態 ①」では、冒頭部分で次のように述べています。

 「明治維新から10年もたたない1875年、日本は江華島事件を起こしました。 軍艦をソウルの入り口の江華島まで行かせて、衝突を挑発し、砲撃戦で砲台を占領し、大砲などを強奪。 翌年、日本は朝鮮に不平等条約を押しつけました。 これを機に日本は朝鮮への圧迫を続け、本格的な侵略に乗り出したのが日清戦争(1894年)でした」

 この背景に何があったのか。 この問題を考えるうえで、私が参考にしているのが、日本共産党の参議院議員を務め、2009年3月1日、韓国。ソウルの講演先で死去された吉岡吉典氏が、書き残した、「「韓国併合』100年と日本」という著作です。

 吉岡氏は議員時代、私たちの現役時代、大蔵省・税関当局の人権侵害、労働組合の団結権侵害問題、賃金差別等の憲法違反の労務政策に反対して、裁判闘争に立ちあがった運動を国会で取り上げ、是正のために、大いに協力していただいた議員でもありました。

 それだけに、吉岡氏のこの著作に関心をもっていました。 初版の刊行は、吉岡氏の死去後の2009年11月30日です。

 吉岡氏の著作は、「明治政府指導者が受け継いだ侵略的思想」等を明らかにしています。

 その一部を紹介したいと思います。

 「『韓国併合』が韓国皇帝の申し出を日本が受け入れたものだなどということを信ずるものはどこにもいません。 第一、調印者の寺内がそう思っていません。 ~ 条約に調印した寺内正毅陸軍大将は、『韓国併合』は豊臣秀吉が朝鮮侵略戦争で果たしえなかったことを果たすものだという認識を明らかにして、次の歌を詠みました」(69頁)

 「小早川、加藤、小西が世にあらば、今宵の月をいかに見るらむ」(同前)

 「~ そして、こうした認識は明治の政治家、とりわけ寺内を含む長州(山口県)出身の政治家には共通の認識だったと思われます。 吉田松陰が、木戸孝允、山縣有朋、伊藤博文はじめ明治政府の中心指導者を松下村塾で教育したのがこういう思想であり、吉田松陰自身この種のことを書いているからです」(69~70頁)

 「『明治政府が最初から侵略的だったのはなぜか』とは、よく受ける質問でもあります。 そこで、この点に関して、吉田松陰をはじめ明治維新の志士たち、吉田松陰の一番弟子だったといわれる木戸孝允をはじめ明治の指導者は、『朝鮮侵略』『中国侵略』を当然とする侵略的イデオロギーの影響を非常に強く受け継いでいたという点を紹介しておきましょう」(「71頁」)

 「明治維新の志士の代表的人物で志士たちに大きな影響をあたえた吉田松陰は、『東亜先覚志士記伝』ものべているように、佐藤信淵の思想的影響をもっとも強くうけています」

 佐藤信淵の記述については、大変重要なのですが、是非、吉岡氏の著者をお読みいただきたいと思います。 吉田松陰について見ていきたいと思います。

 吉岡氏は、続けて次のように書いています。

 「松下村塾を開いて門下生の教育をおこなった吉田松陰の明治維新の志士の間における地位、立場からいって、志士に与えた吉田松陰のこうした思想的影響はけっして小さくありませんでした。 明治政府の征韓論は、こうした思想的影響が溢れているとみなければなりませし、それは明治政府によって実行にうつされたのです」(81頁)

 [ウイキぺデイア]では、吉田松陰の対外思想が次のように紹介されています。

 「~ 北海道の開拓、琉球(現在の沖縄、当時は半独立国であった)の日本領化、李氏朝鮮の日本への属国化、満州・台湾・フィリピンの領有を主張した。 松下村塾出身者の何人かが明治維新後に政府の中心で活躍したため、松陰の思想は日本のアジア進出の対外政策に大きな影響を与えることとなった」

 


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