「帽子のツバが好きでね」
シャッターの下りた店先で男は言った。
「ツバのない帽子ってのもあるんですかね?」
「ツバは影を作り出す。俯いて見れば子猫をお菓子を恐竜を昆虫を復讐を昨日を夏を……。光の加減と自分の立ち位置次第で作り出せない影はない」
それはイマジンだと男は言った。
「ツバはサインを作り出す。触れたり離したり。また、その触れ方。触れる回数。他に触れる場所との組み合わせによって、高度なサインを作り出すことができる」
それは送信だと男は言った。
「ツバは涙や感情を隠す。だから、ツバは私のような弱い人間にはなくてはならない。また、あらゆる創作活動を営む者にとっても欠かせない存在だろう」
それは護身だと男は言った。
男は帽子のツバが日々の暮らしにどれほど役立つかを力説した。
「理想の長さってあるんですかね」
「右手中指よりも長く冬よりも短い。そうしてこそツバとしての役目を果たせるだろう」
そう言うと男はツバに3度右手を当てた。するとどこからともなく5匹の犬が駆けてきて、男の周りを跳ねまわった。
「さあ、出発だ」
それは犬へのサインだった。
手慣れた連携プレーを見せて、帽子の男と帽子の犬たちは街の中へ消えた。