眠れない夜の言葉遊び

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【将棋ウォーズ自戦記】地下鉄飛車対中段玉

2022-03-31 01:13:00 | 将棋ウォーズ自戦記
 三間飛車に振る。駒組みの中、相手は角を中段に上がってきた。この場合、考えられる居飛車の作戦は玉を低く構えるミレニアムか地下鉄飛車だ。僕は左銀を押し上げて右辺に繰り出していった。四間飛車と違って、三間飛車は、銀のポジションを後で決められるところが面白い。腰掛けてもいいし繰り出してもいい。場合によっては引いて囲いにくっつけるという指し方もあるだろう。

 相手はどうやら地下鉄飛車の構えだ。流行っているのだろうか。それとも同じ相手に当たっているのだろうか。やたらと地下鉄飛車に遭遇することが多い。僕は金を左に開き中飛車に振り直すと繰り出した銀を使って中央を攻めた。地下鉄飛車で一方的に玉を攻められるような展開は不満だ。

 とりあえず中央を制圧したところはポイントだろうか。相手はそれには構わず引き飛車から地下鉄飛車に転回してきた。僕は美濃こびんの歩を開けて、飛車の下に角を引いて端に利かした。これでとりあえず端攻めは怖くない。と思っていると相手は端歩を突いてきた。同じく歩に対して玉のこびんに歩を垂らしてきた。この歩は僕が中央を制圧したことによって生じたもので、世の中いいことばかりではないようだ。とは言えそれほどの攻めにはなるまい。備えているはずのところを攻められ、少し動揺しながら香で歩を払った。すると相手は端に角を飛び込んできた。

強襲だ! 

 こうした角切りの攻めは相振り飛車などでないことはないが、玉飛接近の地下鉄飛車では反動もきつそうだ。しかし、思わぬ強襲に僕はすっかり取り乱していた。わけもわからず角を桂で取ってしまった。ここは玉で取って香が走れば引いておく手だった。端だけ破られてもそれほど厳しい攻めにはならないのだ。玉は戻ることができるが跳ねた桂は戻れない。そこが大きな違いだ。

 相手は桂の頭に香を打って攻めてきた。厳しいのかどうかもわからない。受けの形がわからず焦る。わからないまま香の横に角を打った。すると相手は桂を取って角の頭に桂を打ってきた。

王手だ! 

 下に逃げて十分だったが、僕は何を思ったかふらふらと玉を上がってしまった。地下鉄飛車の脅威に自ら近づいていく大悪手だ。相手は歩を突いて桂を支えた。もう行き場がない! 詰んではいないが、半分詰んだような形になってしまった。上には地下鉄飛車、桂の利きで下には行けない。横には自分の打った角がいて逃げ道を封じている。

「いったいどうすればいいんだ?」
(中段玉受けにくし)

 攻め合いか? この状況でそんな手が? 受けも攻めもまるでわからない。時間だけがどんどんなくなっていく。とにかく何か指さなければ……。わからなくても何か指すこと。それが切れ負け将棋で逆転するコツだ。少しでも時間を残しておくことが相手にもプレッシャーとなり、何かが起こることがある。

 僕は居飛車の玉頭に歩を突っかけた。よくなったとしても、決め手がみえなければ逆に焦るものである。それから相手は攻めを誤り、僕も受けを間違えながら混戦になった。居飛車の玉頭に香で狙いをつけ、中央の拠点から香を打ち込んだ。おまじないのような香だった。相手は金を渡して詰めろをかけてきた。金が入ればもしかして……。僕はその時、頓死の筋があることに気がついた。大慌てになりながら玉頭に金を打ち込んだ。10手ほどかかかるが、紛れはほとんどない。残り一手。1秒残っているので少し余裕があった。(0秒だと詰む場合もあるし切れてしまうこともある)どんな形でも詰まして終わるのは気分がよい。
 3分切れ負けの将棋では、強襲を受けることも恐ろしい。とは言え受けの勉強にもなるので、どんどん攻めてくる相手はありがたいものだと思う。






●道をみつける ~はやみえとは

 3分切れ負けや10秒将棋など短時間の将棋は、手のみえるみえないで勝敗が決まるのだろうか。あるいは反射神経のよい者が勝つのだろうか。勿論、直感力や閃く力というのは必要だ。それは冴えであり強さでもある。また、読みにない手が飛んできた時に正確に返すためには反射神経も必要であるが、「読みにない」ことで動揺してしまっては力が出ない。その意味では、メンタルだとも言える。

「ああそんな手があったか」
(時間に追われてたから、みえんかったから)仕方がない。
 おしまい。さあ、次行こうか。

 以前は僕もそのようなことしか考えられなかった。一手がみえなかったから負けた。確かにそういうことも多いのだが、ただ一手一手のせいだけにして終わらせてもよいものだろうか。

 AIは一手一手の最善手を示す。最善手を積み重ねることが、勝利に近づくことだと信じられている。しかし、人間は一手一手、その場その場、個々の点で戦っているわけではない。一つ一つの駒をバラバラに動かしているわけではない。延々と次の一手問題を解いているような実戦はあり得ないだろう。そうした態度は効率的ではないし、まともな将棋にもならないはずだ。

 人間にとって重要なのは線であり、自分の道なのだ。予定通りの道を進んでいる時、人間は特に時間を必要としない。ノータイムでビシビシと飛ばすことも可能だ。
 一番困るのは、指し手が沈黙することだ。現在地を見失って迷子になってしまった時だ。(形勢が不利でどう指してもわるいという状態の話ではない)

「いったい何を指したらいいのだ?」
(どこへ向いて進んだらいいのだ)

 自分の実戦でも、そういう状態の時ほど時間を使ってしまう。10秒なら悪手を指すだろうし、切れ負けでは極端に時間を消費してしまう。(切れ負けの勝負は一手一手のコンマ何秒の差よりも、止まる時間をいかに短くするかだと思う)

「何かいい手はないかな?」

 まさに次の一手問題に当たっているようなもので、そこには既に自分の道(ストーリー)がない。いい手を探そうにも、何もないところに着目していてはみつかる理屈がない。
 その時、本当にみつけるべきなのは、道(方針・構想)の方なのだ。どうにかして早く自分の問題を発見することだ。(短い時間であれやこれやというのは難しい。最も大事なことだけ決まればいい)
 求められるのは次の一手ではなく、自分の道だ。

「いかに自分の道をみつけられるか」
 それも含めて(はやみえ)ということになるだろう。
 道をみつければ手はあとをついてくる。


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