じゅくせんのつぶやき

日々の生活の中で感じた事をつぶやきます。

学習塾の隆盛

2006-07-14 16:12:00 | 教育
★ 最近、学習塾を対象とした高校の説明会が増えた。私立、公立を問わず、昔はほとんど無視されていた学習塾も今や「学習塾様」である。その背景には少子化や通学圏の拡大によって、少しでも優秀な生徒を確実に確保しておきたいと言う高校側の本音がある。一方、塾側も「学習塾様」と祭り上げられれば悪い気はしない。また、塾同士の競争が激化の一途をたどる中、レベルの高い学校の合格者を多く出すことによって、実績をアピールしたいという塾側の都合がある。以前なら、「情実入学」と言われかねないような、高校、塾、保護者の3者による事前の打ち合わせのようなものも実際には存在する。もちろん金銭のやり取りはないであろうが・・・。中学校での業者テストの利用はなくなったが、実際の私立高校の推薦入試では、一般会場で行われる業者テストの偏差値が考慮されることもある。業界内にいてもここまで癒着していていいのかなと思うこともあるが、これが今の現実である。この傾向はここ数年の間に顕著になってきた。

★ 塾業界も競争は益々過酷になってきた。昔のように一斉授業でバカ儲けなどとんでもない。少子化の中、パイを取り合っている現状である。すこしでもヘタをすればあっと言う間に客足は遠のいてしまう。保護者のほうも以前なら2,3年と長期的な視点で見守ってくれていたが、最近は半年、いや数ヶ月で結果を出さないと、クレームがつく。まだクレームがつくと良いほうで、プイとこなくなっておしまいである。塾の企業化、チェーン化も我々のような個人塾には脅威である。建物の環境や誰それが通っているということがブランドになったりする。昔ながらの熱血は時には逆効果でさえある。体罰まがいのことはもってのほかだが、熱心に遅くまで残すことも一部の特別な進学塾を除いてはむしろ敬遠される。

★ 親も子どもも変わってきたし、塾の形態も一斉授業で競わす形から、個別で対応する形へと変わってきた。

★ 高校の説明会に行くと会場には100名以上の塾の担当者が来ている。たくさん塾があるなぁ、いろいろな形態があるなぁ、と感心する。地元の本屋さんやCDショップが消えていくように、学習塾も栄枯盛衰の激しい業種になってきた。油断は禁物。かつてうなぎ上りで業績を伸ばしていた学習塾でさえ、アルバイト講師の許せない愚行により、その繁栄が一炊の夢になりかねない。隆盛の陰には必ず落とし穴がある。塾業界も一層気を引き締めていかないと、いつの日か、世の中から受け入れられなくなるかもしれない。
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先制攻撃が容認される日

2006-07-10 16:09:26 | Weblog
★ ミサイル攻撃に対しては、ミサイルの迎撃による防衛が構想されている。しかし、それはピストルの弾をピストルの弾で相打ちするようなもので、高度な技術が要求される上、その精度もあやしいものである。となると、いかにして国をミサイル攻撃から守るか。それはミサイルが発射される前にミサイル基地を攻撃する以外にはない。これは合理的な結論である。

★ 今日の額賀防衛庁長官の発言はそうした意味では的を射たものである。

★ もちろん額賀氏の発言は、波紋を呼ぶだろう。戦後の日本は専守防衛を国是としてきた。憲法には諸国民の公正と信義に信頼して、自らの安全と生存を保持する、とまで書いた。「丸腰」で、徒手空拳で生きていこうと決意したのである。憲法の理念は崇高ではあるが弱肉強食の国際社会、人間社会の中では、戦うよりは死を選ぶに等しい。それはそれで何らかの情緒的な共感は生むであろうが、人間、死んでしまっては元も子もない。

★ 死して亡霊となり、恨み500年といっても、現実的にはね。

★ ミサイル攻撃など受けない国際環境づくり、外交努力が求められることは言うまでもない。先制攻撃を容認してしまえば、それは双方にとって、先制攻撃不安症候群という不幸な事態を生む。軍部の暴走を生むかもしれないし、相手に先制攻撃を容認する口実を与えることにもなりかねない。

★ 今なぜ、防衛庁長官がこのような強硬な発言をしたのか。国連では北朝鮮への制裁決議が論議され、中国の拒否権を封じ込めるため、瀬戸際の交渉を行っているときではないか。この発言により中国の態度が硬化することはないのか。北朝鮮のお決まりの挑発につい乗ってしまったのか。いや、額賀氏ともあろう人物がそんなキレるようなこともあるまい。他に真意があるのかも知れない。

★ 小泉内閣もあと数ヶ月だが、日本も岐路に立っているようだ。
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イギリスの教育改革

2006-07-04 11:56:17 | 教育
★ 卒塾生の大学でのレポートを手伝い、イギリスの教育改革について勉強した。

★ イギリスでは長年、階級・身分制が残り今尚、貴族の子弟は名門私立校(パブリックスクール)へ通う。庶民はと言うと従来は11歳の試験で一番優秀な子は、グラマースクールへ、次の優秀な子はテクニカルスクールへ、残ったものはモダーンスクールへ通うといった風に日本で言えば小学校卒業段階で選別され。それ以降の人生がほぼ決定されたと言う。封建制の名残を残す戦前の日本も似たようなものだ。日本は戦後教育制度が大きく変わったが、イギリスでも早期の選別に批判があり、「すべての子に中等教育を」というスローガンの下、コンプリヘンジブルスクール運動が起こり、定着していった。

★ 1980年代は世界的な教育改革の時期であり、アメリカではレーガン政権のもと「危機に立つ国家」の観点から教育改革が行われた。イギリスではサッチャー首相率いる保守党政権が、学校教育に市場原理を導入し、教育の質の向上を図った。教育の質の向上とは具体的には学力の向上である。こうした改革の背景には日本経済の隆盛があり、その理由として日本の優れた教育制度が取り上げられた。アメリカ、イギリスでは「いかに日本をまねるべきか」が論じられた。

★ 日本でも中曽根政権が文部省ではなく首相が主導し臨時教育審議会を開催し、教育の「自由化」が論議された。

★ それから20年。アメリカは財政を立て直し、イギリスは「イギリス病」を克服した保守党政権からから1997年、労働党政権に変わったが、市場主義など保守党の教育政策の多くは引き継がれている。徹底した市場主義(例えば全国テストの点数を公表することによって学校を序列化するなど)によって、学校は活性化され、学力(テストの点数)は向上したが、一方で教育困難な生徒や少数民族の子ども障害など特別なニーズをもつ子どもが学校教育から排除されるといった事態を招いているという。

★ 皮肉にも日本はこのイギリスをまね、学校教育に市場原理、競争原理が導入されてきている。その背景には学力の低下に対する危惧があるが、同時に学力の二極化や公立学校における選別化など、格差の拡大が懸念されている。

★ 日本ではかつてのような教員組合による徹底抗戦もなく(これは教育に限らず自衛隊の海外派遣についてもそうだが)、着々と市場化が進んでいる。レポートを考えながら、これからの日本の教育にとってイギリスの教育改革の功罪が参考になるなぁと思った。
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