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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

見渡す空の向こう

2022-03-01 09:00:00 | 日記
 さくらさくらという歌のその続きは、やよいの空は見わたす限り、という。やよいは弥生と書く。三月の別名である。その昔は木や草が弥や(いや)生ひ(おい)茂る月と表現されていたらしい。いよいよ草木が生い茂ってくる季節の「いやおい」が変化して「やよい」になったようだ。

 継続する、または連続する、と思われていた時間が何らかの変化を起こして別の時間に変わって行く境目というかその連続体のヘリの部分というのは継続していた時には感じ得なかった不思議な気分をもたらす。
 日々の時間で言うと夜が終わり朝が始まろうとする一瞬であったり、夕暮れの、そこに誰がいるか判別しがたい光が差している一瞬であったりする。季節でいえば夏の暑さが遠のき光が弱くなって行く秋の頃や、寒い冬が終わって木々が芽吹き始める、まさにこの弥生の時期がそうだ。どことなく寂しくなってうつむきがちな秋の頃とは反対にとうとう冬も終わると実感できる暖かい日々が続くと、どこか深いところから元気が湧き出て来るような気がして霞か雲か判別できないようなものに覆われていたとしても、上を向いて空を見渡してみたくなる。そんな前向きな気持ちの変化を起こさせる季節の境目、弥生三月に入った。
 
 きっと丸2年におよぶコロナ禍幽閉からの解放を待ちわびた人々が春の到来とともに相当に活気づくだろうと思っていた。だが見渡した空に見えるのは単なる霞でも雲でもなくミサイル雲や被弾煙であるウクライナの人々の辛苦を思えば季節の変わり目のその向こう側が必ずしも明るいものではないだろうことが想起されてしまう。その上でパラリンピック終了後、その開催国が海峡の東にある島に暮らす人々に対し同様の理不尽さを見せつけぬようにと願わずにいられない。のほほんと前向きな弥生三月であれば良かったのにと思う。
 
 桜が咲くころには大学や会社近くの物件を決めて、ふるさとに別れを告げる新入生・新社会人も多いだろう。弥生三月は前向きな別れの季節でもある。ずっと続くように思われていたあたりまえの日常が境目の時を経て終わってしまい二度と戻ることは無い。弥生三月はその最後の大切な時間だ。今はまだ手が届く範囲にいる大切な人やもの、街の風景に感謝を伝えよう。写真などに収めてこの一瞬を残しておくのも悪くない。あなたが前向きに変化して行くように、ふるさとも変わって行く。ほんの数か月後に帰ったとして、その時暖かく迎えてくれたとしても、そこにはもうあなたがいた昔のふるさとは無い。今のふるさとがあるだけだ。残念だが時の移り変わりとはそういうものだ。
 
 かく言う私もこの弥生は別れの月となる。4月からは会社を卒業して新しい生活を始める。弥生三月は感謝すべき多くの方々にその気持ちを伝える期間になると思う。このブログに登場するのもおそらくこれでお仕舞い。それなりに本数を重ねて思いの丈を書いてきたと思う。皆さんの応援あってこそと心から感謝しています。長い間、ありがとうございました。(三)
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