い~すと の 愚痴

ある鉄道会社で車掌をしている"い~すと"が語る愚痴

日航機墜落事故から29年

2014年08月16日 17時19分57秒 | 鉄道員の愚痴
8月も折り返し地点となりました。
学生の頃は、夏休みに浮かれ、この時期になっても未だ宿題に手をつけず遊びに夢中でした。

高校を卒業し社会に出たことで40日という長い夏休みを失いましたが、そんな生活も早9年目です。
子どもの頃は夏休みのない親をみながら、夏休みがなくて毎週仕事に行くのは辛くないのかなけるな。と思っていましたが、自分が働く立場になるとそれが当たり前ですし、好きな仕事をしているせいか特に苦に感じたことはありません。
ただ40日という長期の休みは要らないけど3~4日の連休があればそれでいいんです。

猛暑の日でも暑さを感じず、夏休み恒例の鉄道各社が行うスランプラリーやプールで元気いっぱいな子どもたちも見かけると、自分たちにもそんな時代があったんだけど、もうあの元気はないな、と思います。
宿題も大事ですが、元気いっぱい遊ぶこともとても大切だと思います。子どもたちのみなさん、残りの夏休みを楽しんでくださいね。


さて、8月は子どもたちには夏休みという素敵な月ですが、過去には悲しい悲惨な出来事があったことも忘れてはなりません。
広島・長崎の原爆投下、終戦、そして御巣鷹の尾根での日航機墜落事故。
毎年、その日には必ずテレビで触れられ、特番が組まれます。
今後、日本は戦争に向かうという政治の動きもあるようですが、被爆国として絶対にあってはならないと強く思いますが、政治という大人たちの考えは理解できせん。

今日は同じ交通機関で働く者として日航機墜落事故について書いてみます。
※事故の詳細を書くことはいたしませんので、各自お調べください。

いまから29年前の1985年(昭和60年)8月12日、日本航空123便は御巣鷹の尾根に墜落しました。
事故原因について航空事故調査委員会は圧力隔壁の破損と報告しています。他にも様々な説が巷には流れておりますが、これが公式な見解ということになります。

事故は産まれる前のことであり、子どもの頃は、いくら大きな飛行機事故とはいえ、どうして何年も前の出来事を毎年毎年大きく取り上げられるのか分かりませんでした。簡単に「あれから○年が経ち、慰霊登山が行われました」という報道ではないのか疑問に思っていました。
会社に入ってから名前はっきり覚えていませんが、日航機事故について書いた書籍を読んでから関心が一気に高まり、他にも何冊も読みまさた。事故からかなりの年月が経ち、いまではコックピットのボイスレコーダーの音声がインターネットで聴けるようになり、何度も聴きました。

ボイスレコーダーの音声を聴いていると、原因が不明で油圧システムを全て失い、コントロールができない中、なんとか機体を安定させようと奮闘する様子がうかがえ涙が出てきます。
原因もわからない中、最善も求めて模索し、最後の最後まで諦めないコックピットがそこにはあります。

我々、鉄道も安全は輸送の生命であることは変わりません。会社でも安全性の向上に力をいれていますが、いつも時代も100%の安全はあり得ません。
いつ、どこで、いままで考えられなかった事態が発生するかわかりません。訓練やマニュアルもありますが、それで完璧ではありません。
もし当事者になった場合、123便のコックピットのように「最後まで諦めない」鉄道員でなければならないと考えます。
そのためにも日ごろからただ単に仕事をするのではなく、考えて仕事をしていくことが重要ではないでしょうか。

私は飛行機には疎く、専門的なことは何もわかりませんが、「安全」という交通機関に共通する言葉がここまで深く調べるように動かしました。
子どものときは私の考えは変わりました。123便の事故を単に甚大な飛行機事故とするのではなく、鉄道員という視点から安全について考えるときにしていきます。