い~すと の 愚痴

ある鉄道会社で車掌をしている"い~すと"が語る愚痴

東北地方太平洋沖地震

2011年03月24日 23時38分10秒 | 日記

はじめに、今回の大震災で被災されたみなさまにお見舞い申しあげるとともに、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

あの大地震から2週間が経ちました。
あっという間の2週間でした。

2011年3月11日14時46分 東北地方太平洋沖地震
今までに無い激震が東日本を襲いました。
そして津波が沿岸の町を飲み込みました。
場所によっては地震から30分後には到達していました。

震源からと遠く離れた東京都心でも震度5弱~強を観測しました。
相当な揺れで、柱に掴まったり竦んだりしたそうです。
私は高山線のキハ28-58ラストランに遠征しており無事でした。

地震の一報に家族や宮城の親戚の安否が気になりました。東京の家族とはすぐに連絡がとれましたが、宮城は一切連絡がつきません。
しかし、新幹線は徒歩による線路点検のため当日中の運転再開は無理とのこと。
仕方なく翌日朝一が帰ろうと思えば、3月12日3時59分に長野県北部地震
再度線路点検を行うことになり運転再開が延び、実家に帰宅したのは18時すぎになってしまいました。

実家も食器が棚から落ちて割れ、床に散乱していたそうです。
この時点で祖母の安否は確認できたものの親戚の多くが分からないことのこと。
その後時間は掛かったものの、すべての親戚の安否が確認されました
本当に安心し嬉しかったとともに、安否を心配する家族の複雑な気持ちが分かりました。

大津波が押し寄せる映像に言葉もありませんでした。
発生直後は電話が集中し繋がりにくくなるのは致し方ないことです。
しかし、今回は津波被害もあり、停電だけでな携帯の基地局自体がダメになるなどして避難して無事であっても連絡が取れない状況です。

地震発生直後は、津波や被害に遭った町の映像が流れるだけでもありがたいです。
でも、翌日になって記者が現地に入りリポートするようになっても同じ映像を繰り返し流し、避難所の安否に関する掲示や避難者の顔がほとんど報道されないことがさらに不安を募らせました。
インターネットで情報を収集しようにも多くの場所で被害状況や安否情報が流れ、情報が氾濫しておりほしい情報が見つかりません。
インターネット上に氾濫している情報を例えば、googleが提供している「東日本大震災に関する情報のまとめ」に一括して集約してもらえると非常に助かります。

私は運よく全員の安否が確認できましたが、現地ではまだ親類の安否が分からずにいる方が大勢います。
ライフラインや通信回線が少しずつ復旧しておりますが、被災した人同士が十分に連絡を取れているわけではありません。
避難所も決して良い環境ではありませんし、避難状況も十分に把握されず小さな孤立集落まで救援物資が十分に行き渡っていないところもあるようです。
多くの方が不安な毎日をいまも過ごしていることと思います。

今回の大震災はM9.0と日本の観測史上最悪で被害もかなり広範囲に及んでいます。地震による被害は少なかったものの、津波や原発などにより甚大な被害が出ています。
過去の大地震でも実施しなかった計画停電だけでなく、ガソリンといった燃料不足、車両保守部品の不足によりJR西日本でも4月以降、日中の本数を減らすなどに日本中に影響が出ています。
それだけ大きな過去に類を見ない震災であったということです。

少しずつ復興に向けた動きが始まっていますが、完全復興までの道のりはとても長くなることが予想されます。
被災者がいつ日常に戻れるかまだ分かりませんが、いつかその日がやってきます。一日も早くその日が訪れるよう、我々も支援するとともに便利を我慢していきましよう。

大好きな東北・宮城のあの鉄路
再びキハの汽笛が響く日が訪れますように