い~すと の 愚痴

ある鉄道会社で車掌をしている"い~すと"が語る愚痴

ほくほく線

2006年03月26日 11時05分00秒 | 鉄道員の愚痴
東京にて本体と合流し、今度は新幹線で一路、新潟を目指します。
新潟では「みどり湯」という銭湯に入ります。私は何度かお世話になっておりオススメの湯です。

そして今日の宿は夜行快速列車「ムーンライトえちご」でトンボ帰りです。
そして東京でもトンボ帰りをし、再び新潟へ。
今日は「ほくほく線」と「飯山線」に乗り信州へ向かいます。



ほくほく線とはユニークな名前ですが、首都圏と北陸を結ぶ主要ルート【新幹線+特急はくたか】の一部、(直江津)犀潟~六日町(越後湯沢)間の路線です。
新潟コシヒカリの米所を走りますが、沿線は過疎化が進んでおり、会社の収入の多くは「はくたか」利用のお客さまです。
そのために線路は新幹線並みの規格で作られており、「はくたか」は在来線最速の160km/hで運転されます。
しかし、これも長野新幹線が北陸新幹線として富山・金沢方面に延長する際に廃止される見込みで安泰とは言い切れません。

山寺

2006年03月25日 12時40分56秒 | 鉄道員の愚痴


また忙しくなり思うように更新ができていませんm(_ _)m
心をリフレッシュするために旅に出ました。
今回は本当に学生最後の旅行として親しい仲間4人も一緒です。
しかし事は思うように進まないものです。
教習所を今月中に卒業するためには今日とある学科を1コマ受けないといけません。
今月中に卒業すべく、主催者である私だけ抜けてただいま一路、東京の教習所に向かっております。

母校訪問

2006年03月21日 17時29分16秒 | 日記
昨日、卒業したばかりの我が母校某高校に行ってきました。
特に親しい先輩から一緒に行かないかと声がかかり喜んでお供しました。

つい2週間前まで私はこの学校の生徒でした。今は学生服ではなく私服で立っています。
卒業生として先生方に会うことでやっと本当に卒業したんだと実感しました。
もうこの学び舎で学ぶことはありません。あの仲間で一緒にある一つの目標に向かって暴走することもありません。
春は別れと出会いの季節。避けては通れないこととわかっていても仲間と別れるのは大変哀しく辛いものです。
ありがとう 僕らの高校時代

大幅に寝過ごしました

2006年03月19日 00時01分02秒 | 日記
自分で言うのも変ですが私は
【電車ではほとんど寝過ごさない男、もし寝過ごしたとしても1駅程度で起きる男】
です。しかし今日はその定理が脆くも崩れました。

とある後輩宅へ泊まりにいくため某私鉄に乗りました。
それほど眠気を感じていたわけではないものの軽い気持ちで寝ました。
起きてみるとそこは・・・目的の駅から30分、乗車駅からは1時間近くかかる駅でした。
寝過ごさない男が久々に(人生初?)30分ものオーバーランをしてしまいました。

しかし時既に遅く、目的の駅まで戻る電車はありませんでした。
幸いにも近くにJRの駅があり、そちらはまだ電車がありました。今はその車中です。
目的地は私鉄の駅のほうがはるかに近く、JRの駅からでは歩くと20分近くかかります。
後輩とご家族の皆様、到着が予定より1時間以上も遅くなり申し訳ございません。

教習所物語 第7回

2006年03月16日 23時53分09秒 | 学校

大変お待たせしました。教習所物語の連載を再開します。
ときは2月中旬に受講した技能教習までさかのぼります。

 通行位置の選択と進路変更障害物への対応
・道路および交通の状況に合った通行位置を選ぶことができ、タイミングよく進路を変えることができるようにしましょう
・障害物の状況を早めに読み取り、安全な進路と速度が選べるようにしましょう
という教習です。(教本丸写しです)

教習を始めるにあたり教官から
「今までは運転技能を身に付けるもの。これからは安全確認を確実に行うもので、運転技能的には簡単です。」

実際に教習をしてみてもその通りで難易度では前回の「狭路の通行」が最難関であったように思います。
例えば、進路変更するときの安全確認は、ルームミラー、ドアミラー、目視によって行うこと。
今までまったく確認をしなかったわけではありませんが、しっかり意識したのは初めてです。
“確認”は鉄道でも安全のために欠かすことのできないものです。
安全のためには手を抜かない。それは鉄道であっても車であっても同じです。
運転をしながら、改めて鉄道の使命と命を預かる責任の大きさについて考えてしまいました。
決して考え事をして注意散漫な運転をしたわけではなく、しっかりハンコを頂くことができました!


寝台特急北斗星で東京へ

2006年03月14日 10時47分33秒 | 旅行記

30足らずで宗谷岬をあとにして稚内駅へ戻りました。ここから東京へ帰路の旅が始まります。
特急がないため稚内から旭川まで普通列車を利用しました。一面に広がる銀世界。そこを4時間かけて走ります。
東京で4時間も乗っていると非常に長く感じられ疲れますが、北海道では4時間は当たり前です。
北海道は広大ですが旅をしていて飽きることはありません。
まだ帰りたくない。また来たい。
そう心に決め、旭川からスーパーホワイトアローで札幌へ向かいます。

札幌から上野行き寝台特急北斗星4号に乗り込めば旅も終盤、その気持ちはより一層強くなります。

  

これでまた現実の世界へ逆戻り。学生生活は終わり4月から社会人になります。

長万部を過ぎた頃、眠りにつきました。目が覚めたらそこは北海道ではありません。
まもなく仙台に着こうという松島付近を走っていました。北斗星は今、蓮田付近の宇都宮線を上野に向けて走っています。


日本最北端へ

2006年03月13日 22時25分48秒 | 旅行記
銀河線をあとに一旦札幌へ向かいます。途中、対向列車が遅れたため約5分遅れで到着です。
3月12日の宿は3月18日ダイヤ改正で季節臨に格下げされる「利尻」です。
窓側が埋まるかどうかの乗車率でした。

稚内の天気は雪。札幌より確実に気温が下がっています。



8:10 稚内駅前バスターミナルから日本最北端への宗谷バスに乗り込みます。
往復割引で2430円、時間にして片道50分のところに日本最北端の地【宗谷岬】はあります。

  

風が強く体感温度は稚内駅よりもさらに冷たく感じます。
ここに来た達成感は言葉では言い表すことは出来ません。

さよなら銀河線

2006年03月13日 16時24分32秒 | 旅行記
この春、北海道からまた一つ鉄路が姿をけします。
それが北海道唯一の第3セクター鉄道である北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線(旧国鉄池北線)です。
石北本線が全通するまでは札幌と北見・網走を結ぶ幹線として賑わった路線でもあります。

  

せっかく北海道に来たのですからこの機会に全線140kmを走破してきました。
車内は地元商工会議所主催と思われる惜別乗車の団体をはじめ、惜別乗車と思われる方が多く乗ってました。
普段から利用していると思われるのは学生など極一部ではないでしょうか?
これでは廃線になってしまうのも致し方ないと思います。

廃線が決まってからいくら乗っても廃線を逃れないことが大半です。
(南海電鉄貴志川線のように廃線を逃れたケースはまれにあります)
ですから観光需要だけでも利益がでる所でない限り普段から地元が利用することが大切だと思います。
今日のように席はすべて埋まり立ち客も出るほどの利用がいつもあれば銀河線は廃線を免れたのではないでしょうか?
たしかに自家用車とくらべれば遅い・本数はわずかしかない現状は利用しにくいと思います。

北見から池田まで約3時間の道のりはあっという間に過ぎてしまいました。
ありがとう銀河線そしてさようなら

流氷ノロッコ号

2006年03月13日 12時48分36秒 | 旅行記
のろのろ走るトロッコ=ノロッコ
流氷ノロッコ号はその名のとおり、流氷を見ることができる列車です。
知床斜里から網走までオホーツク海に沿って走ります。



車内には売店・乗車記念のスタンプ・ダルマストーブ・観光ガイドなどがあり観光色たっぷりの列車です。
観光列車らしく眺めの良い所では速度を落して運転してくれます。
また途中の北浜駅で約15分停車するためノロッコ号をゆっくり撮影することが出来ました。

残念ながら流氷は既に姿形はなく見ることは出来ましたが網走までの約1時間楽しく過ごすことが出来ました。
観光ガイドでは、毎年来ても見ることが出来ず、10年目にしてやっと見れた夫婦がいたというので諦めずまた来たいと思います。

釧路湿原

2006年03月13日 00時41分41秒 | 旅行記

午後から知人と会う約束があり、幾寅をあとに札幌へ向かいました。
札幌で用事を済ませた頃、空はすっかり夜になってい、そのまま夜行特急「まりも」で一路、釧路へ。



釧路から釧路湿原を通り網走へ抜ける釧網線に乗ります。



人の手がほとんど入っていないだけあり、鹿が平然と線路を横断するのには驚きです。
沿線に民家はほとんどなく、車窓には大自然だけが延々と続きます。
途中の知床斜里から流氷ノロッコ号に乗り換えます。