2001年1月に大きな変化が訪れました。板橋区にマイホームを構え、田無市と合併して西東京市になる直前に保谷市から転出しました。既に再免許手続きは済ませてありましたが、免許日を迎えたところで早速常置場所を変更。結局それまでの第4期の5年間は完全QRT状態で、保谷市での運用実績もゼロでしたが、転居を機にようやくアマチュア無線を再開できることになりました。
今にして思えば、物件を選ぶ際にもう少しアマチュア無線のことを考慮すれば良かったのですが、この時点ではアパマン時代の延長で細々と運用する程度にしか考えていませんでした。とりあえずベランダにアンテナを設置できそうですし、板橋区内でも比較的高台に位置するので、VUHFにはまずまずのロケーションと言えるかもしれません。
サガ電子のSD-660という4バンドアンテナ(21・28・50・144MHz)をベランダに設置。開局当時使っていたFT-680は残念ながら動かなくなっていましたが、TS-680S、FT-736MXは5年ぶりの電源投入も問題なく、正常に動作しました。使っているうちにVR類のガリも取れるでしょう。パソコンにハムログをインストールし、QRT中にエクセルで作っておいた過去のログデータを取り込みました。変更の免許状も届き、JARLにも再入会。いよいよ再開です。
2001年2月23日、再起戦の交信相手は144MHz CW、しかも和文でした。いくつか怪しげな符号もありましたが、5年以上のブランクがあった割には結構覚えているものです。その日は50MHzCWに続いて、珍しいことに430MHzFMでも室内からハンディ機IC-3Sで板橋区内の2局にお声掛け。余程再開が嬉しかったのでしょう。
QRT中にアマチュア無線界の状況も大きく変わっていました。資格による操作範囲、電力も変わっていましたし、ゲストオペレータなんて制度も。HFの移動運用が盛んに行われ、10MHzが結構賑わっています。運用地のJCC・JCGコードを入れてCQを出し、599 BKだけのショートQSOが多いようです。50MHzも昔CWの交信が行われていた50.070~090あたりに出る局はほとんどなく、SSBバンドでCWに切り替えて運用しているようです。すっかり浦島太郎状態でした。オートアンテナチューナー(AH-4)なる便利なものもあり、早速導入しました。当時はベランダの竿もちょっと短めの6mくらいの物だったので、3.5MHzもコイルを入れていました。
再開後もCW中心のハムライフは変わりそうもないので、A1クラブ(当時はJARL A1クラブ)に入会。春先になると21MHzCWでDXも楽しめ、ALL JA、東京コンテストにも参加しました。とにかく久し振りに無線ができるのが楽しくて、徐々にアクティビティを上げて行きました。
しかしそれも長くは続きませんでした。QRT中に続けていた韓国語の勉強も、長年の挑戦の末この年の9月に韓国語能力試験6級(=最上級)に合格し、これからアマチュア無線に打ち込もうと思った矢先でしたが、今度は仕事の方がQRLLに。趣味を楽しむ余裕も次第になくなり、長年通っていた韓国語講座も休学、アマチュア無線のアクティビティも再開から半年ほどで一気に下がってしまいました。しばらくは仕事中心の生活になりました。
さらにその後仕事や家庭の環境が変わり、アマチュア無線どころではない状況になってきました。いろいろと考えた末に一大決心して、無線従事者として13年間働いた会社を2003年に退職。自営の道を行くことにしました。当然のことながら仕事が軌道に乗るまでは苦労します。そんな矢先の翌2004年には娘が生まれ、アマチュア無線のことは頭から離れていきます。2004年はNYPのみ、2005年は運用ゼロでした。結局第5期の5年間は、再開後の半年を除いてほぼ開店休業状態でした。
今にして思えば、物件を選ぶ際にもう少しアマチュア無線のことを考慮すれば良かったのですが、この時点ではアパマン時代の延長で細々と運用する程度にしか考えていませんでした。とりあえずベランダにアンテナを設置できそうですし、板橋区内でも比較的高台に位置するので、VUHFにはまずまずのロケーションと言えるかもしれません。
サガ電子のSD-660という4バンドアンテナ(21・28・50・144MHz)をベランダに設置。開局当時使っていたFT-680は残念ながら動かなくなっていましたが、TS-680S、FT-736MXは5年ぶりの電源投入も問題なく、正常に動作しました。使っているうちにVR類のガリも取れるでしょう。パソコンにハムログをインストールし、QRT中にエクセルで作っておいた過去のログデータを取り込みました。変更の免許状も届き、JARLにも再入会。いよいよ再開です。
2001年2月23日、再起戦の交信相手は144MHz CW、しかも和文でした。いくつか怪しげな符号もありましたが、5年以上のブランクがあった割には結構覚えているものです。その日は50MHzCWに続いて、珍しいことに430MHzFMでも室内からハンディ機IC-3Sで板橋区内の2局にお声掛け。余程再開が嬉しかったのでしょう。
QRT中にアマチュア無線界の状況も大きく変わっていました。資格による操作範囲、電力も変わっていましたし、ゲストオペレータなんて制度も。HFの移動運用が盛んに行われ、10MHzが結構賑わっています。運用地のJCC・JCGコードを入れてCQを出し、599 BKだけのショートQSOが多いようです。50MHzも昔CWの交信が行われていた50.070~090あたりに出る局はほとんどなく、SSBバンドでCWに切り替えて運用しているようです。すっかり浦島太郎状態でした。オートアンテナチューナー(AH-4)なる便利なものもあり、早速導入しました。当時はベランダの竿もちょっと短めの6mくらいの物だったので、3.5MHzもコイルを入れていました。
再開後もCW中心のハムライフは変わりそうもないので、A1クラブ(当時はJARL A1クラブ)に入会。春先になると21MHzCWでDXも楽しめ、ALL JA、東京コンテストにも参加しました。とにかく久し振りに無線ができるのが楽しくて、徐々にアクティビティを上げて行きました。
しかしそれも長くは続きませんでした。QRT中に続けていた韓国語の勉強も、長年の挑戦の末この年の9月に韓国語能力試験6級(=最上級)に合格し、これからアマチュア無線に打ち込もうと思った矢先でしたが、今度は仕事の方がQRLLに。趣味を楽しむ余裕も次第になくなり、長年通っていた韓国語講座も休学、アマチュア無線のアクティビティも再開から半年ほどで一気に下がってしまいました。しばらくは仕事中心の生活になりました。
さらにその後仕事や家庭の環境が変わり、アマチュア無線どころではない状況になってきました。いろいろと考えた末に一大決心して、無線従事者として13年間働いた会社を2003年に退職。自営の道を行くことにしました。当然のことながら仕事が軌道に乗るまでは苦労します。そんな矢先の翌2004年には娘が生まれ、アマチュア無線のことは頭から離れていきます。2004年はNYPのみ、2005年は運用ゼロでした。結局第5期の5年間は、再開後の半年を除いてほぼ開店休業状態でした。