年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

「赤ひげ」を忍ぶ

2008-03-26 | フォトエッセイ&短歌
 8代将軍:吉宗の「享保の改革」に目安箱の設置がある。江戸城竜ノ口の評定所の門前に「目安箱」を設置し、江戸庶民の声を聞いて政治に活かそうという趣旨である。早速、小石川伝通院に住む小川笙船(おがわしょうせん)という医師が『極貧の者や身寄りのない者の為の施療所を設置すべき』という意見を投書し、それが取り上げられている。
 当時「白山御殿」(綱吉の別邸)では幕府御殿医の薬草が栽培されていて「小石川の薬草園」と呼ばれていたが、1722年、その一隅に「養生所」が開かれた。これが「小石川養生所」である。
  <身寄りのない貧人だけを治療の対象者>として、与力・同心・中間など20名が約800両で管理運営した。イマ風に言えば貧窮者対象の治療費無料の国立総合病院(内科・外科・眼科)である。マスゾエ厚労大臣に参考にしてもらいたいものだ。

<徳川幕府直轄の小石川御薬園の庭園風景。緑は春の装いを彩っている>

 「小石川養生所」は約140年も江戸の貧民救済施設として機能したが、幕末には西洋医学校に吸収され、やがて明治政府が接収。現在、小石川植物園として親しまれているが、正式には「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」と厳めしい名前になっている。
 「養生所」の遺構としては「養生所井戸」がある。山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』を映画化した「赤ひげ」(黒澤明監督:三船敏郎主演)の感動を思いだす。
 「赤ひげ」の一見手荒な治療、乱暴な言動の底に秘められた人間的優しさ、筋の通った姿勢。医者として人間として貧者の患者に接するに姿に心閉ざす者達が徐々に心を開いていく壮大な人間ドラマの傑作であった。

<「赤ひげ」達が使った養生所井戸。周辺には多種類の薬用草が栽培されている>

 園内には「ニュートンのリンゴの木」や、遺伝学の権威メンデルが実験に使ったぶどうの木から分けた木、世界で初めてイチョウの木の精子を発見した木など、ふんふんとうなずける学術的に価値のあるものも多数ある。
 こんな記念碑もある。『関東大震災記念碑』:大正12年9月1日の関東大震災によって東京市内は大きな被害を受け、市民3万人以上がこの植物園に避難した。大正14年に最後の避難居住者が退去したので有志によってこの記念碑を建てた、と記されている。また被災者達が江戸時代の養生所の井戸水を使用したとも云う。

<都営地下鉄三田線白山駅下車徒歩10分。最高裁判所書記官研修所前>