年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

登竜門

2012-10-07 | フォトエッセイ&短歌

 作家の登竜門といえば「無名あるいは新人作家」に送られる芥川賞であったが、第39回(1958年上半期)大江 健三郎の受賞が決定した時、選考委員の佐藤春夫は「芥川賞は今日以後新人の登竜門ではなく、新進の地位を安定させる底荷のような賞と合点した」と皮肉った。現在では、まさに佐藤の指摘した通りで芥川賞受賞者はすでに中堅の作家である場合が多く、原石を磨くような以後の楽しみはなくなった。売らなければならない出版業界のご事情であろうが、芥川賞の期待も面白さもなくなった、
 ここでは芥川賞の話ではなく登竜門の話である。広辞苑によれば『後漢書』に見える記載で「竜門は黄河中流の急流で、ここを登った鯉は竜になる」ということだ。そこを突破すれば立身出世が出来る関門となる。
江戸時代の武家社会でこの故事から子弟の立身出世を願って、梅雨期の雨の日に鯉を模した鯉のぼりを飾る風習となったのだという。五月晴れの空にひるがえる鮮やかな端午の節句の鯉の姿は如何にも凛々しい。
 「今太閤」の居城 として知られた故田中角栄首相の邸宅「目白御殿」の池の鯉は権力というか金権政治の象徴して有名となった。日本列島改造論・ロッキード事件・闇将軍などエピソードには事欠かない。色彩や斑点など鮮やかな模様を背負って悠然と泳ぐ錦鯉(ニシキゴイ)には太閤の名前が似合ったであろう。登竜門を潜った政治の一人であったがすでに過去の亡霊となっている。
 ところで、鯉は汚れた水を好み、雑食性で水草、昆虫類、小魚など口に入るものならなんでもござれの悪食である。生命力も極めて強く魚にしては長寿の部類。在来の水生生物を圧迫するので、国際自然保護連合では、コイを世界の侵略的外来種に数えている。「侵略的外来生物」とスゲ~名前が付けられ、緋鯉の艶やかさも艶消しである。実際に足音を聞きつけここを先途と大口開けてエサをねだる姿は凄まじいのなんのって!

<東京放送局(JOAK)があった愛宕山の池の鯉です>

  優然と遊びし緋鯉のまだら赤一閃すれば朱は水に溶け入る

  凄まじき此処を先途と寄せ群れるヒゲたて口開け喰わんでなるか

  泰然と真鯉は揺れずのったりと背ビレ光らせ睥睨して征く

  たくましき真鯉の尾ひれ一転し潜水艦になりて池底に

  国境の難民の姿思わせる生きる姿の形相は必死


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