年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

外苑点景・銀杏

2006-12-09 | フォトエッセイ&短歌
遅れた秋がようやく神宮外苑の銀杏並木に訪れた。足許から舞い上がる風はちょっぴり冷たく絵筆持つ指先を吹き抜けていく。カンバスの黄色に黄葉したイチョウの葉が舞い落ち絵の中に溶け入った。一心に筆を動かす画家さえもが風景の中に溶け入っている。
 

今日ばかりは絵心がないのが残念だ。信州に隠棲して履き古した登山靴ばかりを描き始めた友人を思い出した。『幾つの山を越えてきたかな… ニッカボッカで流行の「雪山賛歌」を口ずさみ新宿の中央本線を待ったもんだ。夜行の匂い、登山の苦しみが蘇って来る。それはいつしか丸ごとの自分の過去になり、気が付けば夕陽が西に赤くなっているのさ。いいんだよ、この無為のような時間がさ』
ソウカ~、ソウダヨナ~。でも焼き芋の匂いがたまらね~。落ち葉とくれば焼き芋だから。子供の頃のイモばかりのひもじかった頃も蘇って来る。



明治19年、近衛・第一両師団は部隊の教練のためにこの青山の広大な土地を練兵場として使用する事になった。翌年、天皇が初めて近衛兵除隊式を閲兵、以後毎年1月8日の陸軍始の観兵式と11月3日の天長節の観兵式が行なわれた。日清、日露戦争の観兵式もここで行われ、大陸侵略への陣立てで戦意高揚を演出し多くの兵士たちが戦地へと旅立った場所である。まさに大日本帝国軍隊の発祥の地である。
その後、この青山練兵場は「明治天皇の業績を後世に残そう」と公園建設計画が進み、現在では「神宮の杜」(明治神宮内苑・神宮外苑)と呼ばれる市民の憩いの場として親しまれるようになった。
青山通りから絵画館に至る300メートルの銀杏並木は燃え立つ紅葉の頃が最大のページェントになるが、春陽に輝く新緑の時期を愛でる市民も少なくはない。あるいは木枯らしに枝を振るわせる裸木の影の寂しさが何とも言えないという人もいる。尚、殆どを雄株にしてギンナンがならないような植樹にしてあるので、銀杏の木特有の甘酸っぱい悪臭は発生しない。あの匂いも捨てたものではないんだが。

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