年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

冬遠からじ<6> 甲州桂川

2010-12-23 | フォトエッセイ&短歌
 猿橋宿(さるはししゅく)は甲州街道の宿場の一つである。現在はその面影を伝えるもはないが、JR猿橋駅の先にある「猿橋一里塚」がある。
 甲州街道は江戸日本橋から武蔵国(東京都)相模国(神奈川県)甲斐国(山梨県)信濃国(長野県)を通り、下諏訪で中山道に合流する44次、約56里(約219km)の街道である。甲州が幕府の直轄地となってからは経済上、軍事上、重要な交通路となった。

<甲州街道は猿橋で桂川を渡る。見上げると橋桁の無い橋が天高く聳える>

 甲州街道は現在の国道20線に重なる街道で、山間部を縫うように連なっている。旅人泣かせの難所が待ち構える。特に相模湖の上流の桂川渓谷沿いは深い谷と屈曲した道路のために自然災害による通行止も多々あった。
 猿橋宿(大月市猿橋町)はそんな桂川渓谷沿いに出来た宿場町である。この宿場町を有名にしたのが桂川に架かる「猿橋」(さるはし)である。

<小さい橋だが歴史を感じさせるものがある。国の名勝文化財指定のなっている>

 猿橋は谷が深くて橋脚がたてられないため、1本も支柱(橋脚)を使わずに両岸から張り出した四層の「刎木(はねぎ)」によって橋を支えるている。その構造形式は、「肘(ひじ)木けた式」と呼ばれ、橋脚を使用しないで両岸より張出した四層の桔木を支点とし、上部構造を支えるものである。
 歌川広重の絵を浮世絵として売り出したというから江戸時代にはすでに名勝として話題を呼んでいたのであろう。山口県の錦帯橋(きんたいきょう)、徳島県のかずら橋と並ぶ、日本三大奇橋の一つに数えられている。

<現在では唯一の「刎橋(はねばし)」となっている。匠の技が風格を持って迫る>