年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

冬遠からじ<7> 甲州猿橋

2010-12-27 | フォトエッセイ&短歌
 猿橋は、桂川(相模川上流)の両岸が崖となってそそり立つ川幅の狭まった地点にある。川幅は狭いが河原からの高さがあるので橋桁を建てる事はできない。こうした条件では吊り橋を用いるのが常だが、日本にはもう一つ、刎橋(はねばし)という形式が存在した。橋脚なしで橋を渡す技術である。
 現在の橋は、基盤のコンクリート保護・鋼材の使用等安全性を考慮し、H鋼を木材で囲った桔木を用いて、昭和59年に総工費3億8千万円をかけ復元させたものである。

<水面からの高さ31メートル、長さ33メートル、幅3.3メートルある>

 猿橋の歴史は古く、7世紀頃に百済の国の志羅呼(しらこ)が、猿がつながって対岸に渡る姿を見て、これを造ったという伝説がある。「昔猿の渡しけるなど里人の申し侍りき。さる事ありけるにや。信用し難し。此の橋の朽損の時は、いづれに国中の猿飼ども集りて、勧進などして渡し侍ると」(廻国雑記)
 信用し難い、と言っているが、伝説としてはありそうな話しである。橋畔には猿の石造や猿王を祭る山王宮が朱の鳥居を輝かせている。

<猿王を祭る山王宮。国の名勝文化財指定されている。平成の旅人を迎える>

 『猿橋や蠅も居直る笠の上』松尾芭蕉の甲州への道中吟である。猿橋の地点は橋づくしである。渓谷が深い割りには川幅が狭いので架橋には都合が良かったのかもしれないし、道中の重要な拠点であったのかもしれない。
 歴史遺産の「猿橋」・旧道の「猿橋」・バイパスの「猿橋」・更に水路の「猿橋」となかなかの景観である。

<旧道の新猿橋から上流に…。猿橋、水路、赤色のが20号線のバイパス猿橋>